障子帳(帳代)
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画像474はそれから半世紀後の応保元年『山槐記』にある二条天皇の中宮・藤原育子入内のときの飛香舎(ひぎょうしゃ:通称「藤壺」)の室礼である。母屋四間に帳台、その脇と南庇に昼御座を設置してはいるが、それは中宮としての格式を示す形式的なもので、実際の生活の場、常御所(つねのごしょ)は母屋西端の二間である。そしてその「常御所」と書かれたものが障子帳(しょうじちょう)で、南側入り口に「脇障子」が設えられている。 画像440は『松崎天神縁起』の播磨守有忠の居間で、播磨守の妻が畳みの上で横になっているがその部分が寝室ではない。これは寝ているのではなく、寝室の外の居間で夫婦がくつろいでいる図である。妻は寝そべって歌を書いている。寝室は背後の障子帳の帷(とばり)の中である。室内に単独で立てられたものではなく既に建物に組み込まれている。黒い柱二本は漆塗りである。その二本の黒い柱の間に帷(とばり:カーテン)が下りる。二本の黒い柱の外側に細長い「脇障子」が填めてある。 このように絵巻などに出てくる寝所の図に出てくる狭い小壁「脇障子」は、そこが建物にビルドインされた障子帳であることを示す。この状態を単体で独立して立てられる障子帳と区別して「障子帳構」と呼ぶこともある。それを装飾化したものが初期書院造の「帳台構」である。
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