脇障子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 00:57 UTC 版)
奈良時代から平安時代の寝殿造の初期までは高貴な人の寝室は塗籠の中に立てた帳台だった。それが時代とともに塗籠の外に出て、更に帳台を覆っていた絹のカーテン・帷(とばり)が、パネルとしての障子に変わる。これを障子帳という。脇障子はその障子帳の入り口の脇のパネルである。 画像13は『松崎天神縁起』に出てくる播磨守有忠の居間で、右上で播磨守の妻が畳みの上で横になっている。これは寝ているのではなく居間で夫婦がくつろいでいmる図である。妻は寝そべって歌を書いている。妻の背後に黒い漆塗りの柱二本が見えるのが寝室障子帳である。『枕草子絵巻』の鳥居障子(画像12)の鴨居もやはり黒塗りだったが、建物は白木でも道具や建具は漆塗にする。その二本の黒い柱の間に帷が下りるが、ここがその寝室、障子帳の入り口である。二本の黒い柱の外側の短い壁のように見えるものにも軟錦が貼られている。つまりこれはパネルの障子で脇障子という。 このように絵巻などに出てくる軟錦が貼られた狭い袖壁脇障子はそこが固定された障子帳であることを示す記号でもある。固定された障子帳、つまり障子帳構を座敷飾りとしたものが初期書院造の帳台構である。なおこの障子帳は室内に単独で立てられたものではなく既に建物に組み込まれている。この段階の障子帳を障子帳構と呼ぶことがある。
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