屏風と衝立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 00:57 UTC 版)
パネル1枚に土居を付けて自立させたものが衝立、パネルに接扇(せつせん)という革紐で結んで複数枚繋げたのが屏風で、屏風も衝立も古くは障子である。衝立は日本では障子と呼ぶが、中国では屏風である。屏風は平安時代から屏風と呼ばれ、障子と呼ばれることは少ないが、衝立は日本では常に障子と云われた。例えば内裏清涼殿にある年中行事障子や 昆明池障子、荒海障子はパネルに足の付いた衝立である。 衝立障子の歴史は古く、奈良時代・天平宝字5年(761年)の「法隆寺縁起井資財帳」には、橘夫人の奉納したものの中に障子があるが、これも衝立のようである。この橘夫人の奉納した障子は高さ7尺(2.1m)、幅3.5尺(約1m)で、現在の畳より大きく、現在の住宅の鴨居よりも高い。当時の衝立は現在の衝立のイメージには収まらない。 画像08は『伴大納言絵巻』に描かれた内裏・清涼殿の東広庇北側の昆明池障子である。絵巻なので広庇の幅は短く描かれているが、高さ6尺、横9尺(約2.7m)と云い、広庇の柱間を完全に塞いでいる。形は衝立でも用途はほとんど紫宸殿の押障子・賢聖障子と変わらない。寝殿造で侍廊の前を覆った立蔀(参考:松崎天神縁起の絵)も地面に置く衝立である。
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