茨城県立竜ヶ崎第一高等学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/09 01:59 UTC 版)
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茨城県立竜ヶ崎第一高等学校 | |
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過去の名称 |
茨城県立土浦中学校龍ヶ崎分校 茨城県立龍ヶ崎中学校 茨城県立龍ヶ崎高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校(県立) |
設置者 |
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設立年月日 | 1900年 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 |
全日制課程 定時制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科(8学級) |
高校コード | 08155J |
所在地 | 〒301-0844 |
茨城県龍ケ崎市平畑248 北緯35度54分54.5秒 東経140度11分15秒 / 北緯35.915139度 東経140.18750度座標: 北緯35度54分54.5秒 東経140度11分15秒 / 北緯35.915139度 東経140.18750度 | |
外部リンク | 公式サイト |
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茨城県立竜ヶ崎第一高等学校(いばらきけんりつりゅうがさきだいいちこうとうがっこう)は、茨城県龍ケ崎市平畑にある県立高等学校。
概要
2000年(平成12年)に創立100周年を迎えた。通称・略称は、「竜ヶ崎一高(りゅうがさきいちこう)」、「一高(いちこう)」、「竜一(りゅういち)」、「竜一高(りゅういちこう)」。しばしば「龍ヶ崎」や「龍ケ崎」(市名が「龍ケ崎」)と誤記されるが、学校名としては「竜ヶ崎」が正式な表記である。
2014年度から2019年度までの5年間スーパーサイエンスハイスクール(SSH)に指定されている。
野球部は甲子園に春1回・夏9回出場で、同校を代表する運動部の一つとして知られる。
卒業生は、2004年8月現在、旧制中学全日制4378名、高等学校全日制普通科・定時制普通科16825名である。
沿革
- 1900年4月1日 土浦中学校龍ヶ崎分校(創立)
- 1902年4月1日 茨城県立龍ヶ崎中学校(独立)
- 1948年4月1日 茨城県立龍ヶ崎高等学校(改編)
- 1949年4月1日 茨城県立竜ヶ崎第一高等学校(改称)
- 1951年4月 初めて女子生徒が入学
- 1970年10月31日 体育館竣工
- 1974年8月10日 本館竣工
- 1978年3月31日 体育館竣工
- 1980年7月20日 武道場竣工
- 1988年10月25日 白幡会館竣工
- 1990年10月13日 創立90周年記念式典挙行
- 1998年5月27日 飛龍館(多目的学習館)竣工
- 1999年3月16日 本館(管理・教室棟)竣工
- 2000年10月21日 創立100周年記念式典挙行
- 2000年12月20日 運動部室竣工
- 2003年3月9日 武道場竣工
校訓・教育方針
- 校訓
- 「誠実・剛健・高潔・協和」
- 教育方針
校歌・応援歌
- 校歌
この校歌の原曲は 旧制一高寮歌「アムール川の流血や」である。県内では、同じメロディを下館一高が応援歌として使用している。
- 作詞 寺田彰司(元教諭)
- 一、千秋の雪積もりたる 富士の高嶺の雄姿ぞ
- 幾万代の後までも 変らぬ誠の鑑なる
- 二、奔流百里石をかみ 巌をに激しいや増しに
- 勢加わる利根の水 これ剛健のためしなり
- 三、あゝ此の山と此の川と 日夕眺むる健男児
- 自然の示す巨人をば 如何に学ばん習わなん
- 四、白幡台の雪月花 四季の折々常総の
- 平野にしるく輝くは 高潔無垢の別天地
- 五、石段登る六十余 一足ごとに踏みかため
- 心を鍛え身を練りて 忠良有為の基たてん
- 応援歌
曲は 旧制二高(仙台)のポート部応援歌と同じである。
- 作詞 中村重夫(旧中14回卒)
- 作曲 土井晩翠
- 一、常南一角風起こり 利根の川波すさぶ時 蛇竜いまや雲を得て
- 飛躍の姿永劫の 命をさけぶもののふの 意気と力の雄々しさよ
- 二、六つの花散る冬の日も 黄金とかす夏の日も 臥薪嘗胆鍛えこし
- 鉄腕一度地になれば 鬼神閻羅も影をひめ さとしの光照らすなり
- 三、人生意気に感じては そも我が前には敵やある 勝利の大旗白幡の
- 台上高く押し立て 九百健児諸共に いざ歌わん弥栄を
学校行事
- 5月 進学懇談会(3年)
- 6月 白龍祭(文化祭)
- 7月 進学懇談会、野球応援
- 8月 中学生対象学校説明会、モーラルアップ学習(2年)
- 9月 飛龍祭(体育祭)
- 10月 修学旅行(2年)
- 11月 大学模擬講義
生徒
通学する生徒は龍ケ崎市、取手市、牛久市、稲敷市、土浦市、つくばみらい市、及びその周辺の生徒が多い。
制服
- 男子冬:黒襟学生服、黒スラックス、白ワイシャツ
- 男子夏:上着不要
- 女子冬:黒ボレロ(白襟付)、黒ジャンパースカート、白ブラウス
- 女子夏:上着不要
部活動
- 運動系
- 文化系
施設
アクセス
学校関係者
著名な出身者
政治・行政
- 小泉俊明 - 元民主党衆議院議員
- 中山利生 - 元自由民主党衆議院議員、防衛庁長官、勲一等旭日大綬章
- 中山一生 - 龍ケ崎市長、中山利生の長男
- 根本洋治 - 牛久市長
- 北澤寛治 - 元駐コンゴ民主共和国特命全権大使、元外務省カリブ室長
財界
学界
文化・スポーツ・芸能
- 服部正一郎 - 洋画家、日本芸術院会員、日本芸術院賞受賞
- 岡野功 - 1964年東京オリンピック柔道中量級金メダリスト
- 森田歩希 - 青山学院大学陸上競技部(第95回東京箱根間往復大学駅伝競走-3区区間新記録)
- 根本行都 - 元プロ野球選手
- 塩瀬盛道 - 元プロ野球選手
- 宮本孝男 - 元プロ野球選手、元競輪選手
- 杉山春樹 - 元プロ野球選手
- 椎名市衛 - 北辰一刀流剣術第7代宗家、直心影流剣術師範、剣道研究家
- 牛山純一 - ドキュメンタリー映像作家、早大卒
- 斎藤哲也 - TBSアナウンサー、早大卒
- 森光司 - 元お笑い芸人(MANZAI-C)、現在は放送作家
- 豊嶋真千子 - 声優
- 村上健志 - お笑い芸人(フルーツポンチ)
- Eri - 双子アイドルユニットMariEriメンバー
- 桜井昌司 - 布川事件元被告人(中退)
他校との交流
旧講堂
かつて、竜ヶ崎一高には木造校舎の中でも特徴ある大きな講堂があった。これは明治37年頃の建築家・駒杵勤治の設計によるものであるが、老朽化のため取り壊しとなった。駒杵による同時期・同デザインの3校(竜ヶ崎一高・水海道一高・太田一高)の講堂のうち、現存するものは太田一高(重文指定)のみである。
その他
- 現在 竜ヶ崎一高が立っている白幡台は、かつて 源頼朝の家臣下河辺政義の子孫竜ヶ崎氏が築いた白旗城であった。現在の校地はその高台に位置する。
- 同窓会は白幡同窓会と称する。卒業と同時に加入。
- 校地が流通経済大学と隣接している。
- 硬式野球部は1918年(大正7年)の第4回全国中等学校優勝野球大会で夏の全国大会の初出場を決めているが、折りしもこの年に発生した米騒動の影響で大会自体が中止となった。
脚注
注釈・出典
- ^ “毎日新聞 ぐるっと首都圏 「母校をたずねる」”. 竜ヶ崎第一高校 (2016年9月2日). 2016年9月19日閲覧。
- ^ 朝日新聞サイト内「第86回全国高校野球選手権大会 イチオシ!地方大会 茨城」
関連項目
外部リンク
- 竜ヶ崎第一高等学校公式サイト(日本語)
茨城県立竜ヶ崎第一高等学校・附属中学校
茨城県立竜ヶ崎第一高等学校・附属中学校 | |
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北緯35度54分54.5秒 東経140度11分15秒 / 北緯35.915139度 東経140.18750度座標: 北緯35度54分54.5秒 東経140度11分15秒 / 北緯35.915139度 東経140.18750度 | |
過去の名称 |
茨城縣立土浦中學校龍ヶ崎分校 茨城縣立龍ヶ崎中學校 茨城県立龍ヶ崎高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 |
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設立年月日 | 1900年 |
共学・別学 | 男女共学 |
中高一貫教育 | 併設型 |
課程 |
全日制課程 定時制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学校コード |
D108220800018 高等学校) C108220890011 (中学校) | (
高校コード | 08155J |
所在地 | 〒301-0844 |
外部リンク | 公式サイト |
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茨城県立竜ヶ崎第一高等学校・附属中学校(いばらきけんりつ りゅうがさきだいいちこうとうがっこう・ふぞくちゅうがっこう)は、茨城県龍ケ崎市平畑にある公立中学校・高等学校。通称・略称は、「竜ヶ崎一高(りゅうがさきいちこう)」、「一高(いちこう)」、「竜一(りゅういち)」、「竜一高(りゅういちこう)」。
沿革
- 1900年4月1日 - 茨城県立土浦中学校龍ヶ崎分校(創立)。
- 1902年4月1日 - 茨城県立龍ヶ崎中学校(独立)
- 1948年4月1日 - 茨城県立龍ヶ崎高等学校(改編)
- 1949年4月1日 - 茨城県立竜ヶ崎第一高等学校(改称)
- 1951年4月 - 初めて女子生徒が入学
- 1970年10月31日 - 体育館竣工
- 1974年8月10日 - 本館竣工
- 1978年3月31日 - 体育館竣工
- 1980年7月20日 - 武道場竣工
- 1988年10月25日 - 白幡会館竣工
- 1998年5月27日 - 飛龍館(多目的学習館)竣工
- 1999年3月16日 - 本館(管理・教室棟)竣工
- 2000年12月20日 - 運動部室竣工
- 2003年3月9日 - 武道場竣工
- 2014年 - スーパーサイエンスハイスクール (SSH) に指定(5年間)
- 2020年4月1日 - 附属中学校併設
校訓・教育方針
- 校訓 - 「誠実・剛健・高潔・協和」
- 教育方針
基礎データ
アクセス
- 竜ヶ崎駅 徒歩約17分
象徴
- 校歌 - 作詞は元教諭の寺田彰司。この校歌の原曲は旧制一高寮歌「アムール川の流血や」である。県内では、同じメロディを下館一高が応援歌として使用している。
- 応援歌 - 作詞:中村重夫(旧中14回卒) 、作曲:土井晩翠。曲は旧制二高(仙台)のボート部応援歌と同じである。
- 制服 - 黒襟学生服、黒スラックス、白ワイシャツ。または黒ボレロ(白襟付)、黒ジャンパースカート、白ブラウス。夏は上着不要。
学校行事
- 5月 - 進学懇談会(3年)
- 6月 - 白龍祭(文化祭)
- 7月 - 進学懇談会、野球応援
- 8月 - 中学生対象学校説明会、モーラルアップ学習(2年)
- 9月 - 飛龍祭(体育祭)
- 10月 - 修学旅行(2年)
- 11月 - 大学模擬講義
部活動
野球部は甲子園に春1回・夏9回出場。1918年(大正7年)の第4回全国中等学校優勝野球大会で夏の全国大会の初出場を決めているが、この年に発生した米騒動の影響で大会自体が中止となった。
施設
学校関係者
著名な出身者
政治・行政
- 北澤寛治 - 外交官、元コンゴ民主共和国駐箚特命全権大使
- 小泉俊明 - 元衆議院議員
- 千葉繁 - 阿見町長[1]
- 中山一生 - 茨城県議会議員、元龍ケ崎市長
- 中山利生 - 元衆議院議員、元防衛庁長官
- 根本洋治 - 元牛久市長
財界
学界
スポーツ
文化・芸能
他校との交流
旧講堂
かつて、竜ヶ崎一高には木造校舎の中でも特徴ある大きな講堂があった。これは建築家の駒杵勤治の設計によるものであるが、老朽化のため取り壊しとなった。駒杵による同時期・同デザインの3校(竜ヶ崎一高・水海道一高・太田一高)の講堂のうち、現存するものは太田一高(重文指定)のみである。
その他
- 現在 竜ヶ崎一高が立っている白幡台は、かつて 源頼朝の家臣下河辺政義の子孫竜ヶ崎氏が築いた白旗城であった。現在の校地はその高台に位置する。
- 同窓会は白幡同窓会と称する。卒業と同時に加入。
- 校地が流通経済大学と隣接している。
- 2001年、夜間に不審火によって武道館が焼失。詳細原因などは不明。
脚注
注釈・出典
- ^ “町長プロフィール”. 阿見町ホームページ. 阿見町. 2021年4月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年3月26日閲覧。
- ^ 代表取締役の異動に関するお知らせ - ビックカメラ(2020年8月27日)2020年10月4日閲覧。
- ^ “毎日新聞 ぐるっと首都圏 「母校をたずねる」”. 竜ヶ崎第一高校 (2016年9月2日). 2016年9月19日閲覧。
- ^ 【茨城】茨城で高校野球大会100年目 - 朝日新聞
関連項目
外部リンク
固有名詞の分類
茨城県高等学校 |
翔洋学園高等学校 茨城県立勝田工業高等学校 茨城県立竜ヶ崎第一高等学校 愛国学園大学附属龍ヶ崎高等学校 岩瀬日本大学高等学校 |
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