剣道歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/09 15:38 UTC 版)
中学に入り剣道を始める。最初に師事したのは、元陸軍大尉武田治衛教士。後に北辰一刀流第6代師範谷島三郎教士の指導を受ける。剣道は同級生の中で一番下手であったが、恩師の「大器晩成という言葉がある」との励ましで、挫折を乗り越えて今日まで剣の修行をしている。 文武の名門、茨城県立竜ヶ崎第一高等学校に進学し。剣道部主将を務め、インターハイに出場。芝浦工業大学へ進学し、剣道部で佐藤博信(当時警視庁師範、教士7段)範士に出会い、人間的技術的な影響を受け、以後、亡くなるまで42年間師事した。25歳、全日本中央講習会で小川忠太郎範士と出合い、精神的な影響を受け私淑する。小川範士の主催する人間禅教団宏道会で、禅と短竹刀の修行を始める。30歳、日本農業実践大学校(現 日本農業実践学園)で直心影流第15世山田次郎吉の継嗣加藤完治の愛弟子、酒井章平から直心影流「法定」の指導を受ける。以後、法定を根幹に剣道を修業。31歳、突き名手として有名であった皇道義会青木秀男(北辰一刀流)教仕に引き合わされ、竹刀作り、振り棒鍛錬法、身体基礎動作、基本打突法等を受ける。35歳、谷島三郎教士より北辰一刀流「切り返し」の伝授をうける。それを機に、北辰一刀流組太刀「格」の指導が始まる。同年、大祢一郎範士から体当たり受けを伝授される。恩師達が他界すると、他の武術の名人を研究するようになった。弓道無影心月流第2代鷺野暁に入門したのもこの時期。53歳で教員を辞職、雑誌剣道日本に連載開始するとともに、国内・外で、武道講習を開始する。2013年11月、北辰一刀流宗家継承式が行われ、千葉家から、お玉が池「玄武館」に安置してあった妙見大菩薩、相伝の守り刀・桜花妙見丸を受け継いだ。2017年11月、感じるとこあって剣道7段を返上。全日本剣道連盟から離れる。
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