船場の通
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 07:27 UTC 版)
(北から南の順) 土佐堀通 - 幅員12間の幹線道路。古くは北浜通、土佐堀浜通と呼ばれた。1911年に拡幅されるまで東端は東横堀川に達しておらず、船場の北東隅は蟹島新地(かにしましんち)と呼ばれる遊興地となっていた。堺筋交点に大阪取引所、淀屋橋南西袂に「淀屋の碑」が所在する。御霊筋以西は新住友ビルディング・住友ビルディング(三井住友銀行大阪本店)が所在し「住友村」の一画を成す。 淀屋小路(よどやしょうじ) - 心斎橋筋 - 御霊筋間にのみ敷かれた小路。元は渡辺筋まであった。淀屋の屋敷に由来する。 内北浜通 - 江戸時代の町名から古くは梶木町(かじきまち)通と呼ばれた。東端は一つ南の今橋西詰となり、東横堀筋に接続する。適塾、大阪市立愛珠幼稚園がある。 今橋通 - 御堂筋に面して東側に日本生命、西側に淀屋橋odona、大阪倶楽部がある。 浮世小路(うきよしょうじ) - 京都でいう突抜に相当する。 高麗橋通 - 2005年5月まで堺筋に面して三越大阪店があった。 伏見町通 - 芝川ビルが有名。御堂筋を挟んで西側に阪和興業、東側にKISCOがある。 道修町通 - 武田薬品や塩野義製薬をはじめとする製薬会社のオフィスが集中し、東京の日本橋本町とともに日本を代表する薬品街。神農(しんのう)さんとして知られる少彦名(すくなひこな)神社があり、11月22日から11月23日の勤労感謝の日の前後の神農祭の神社の宗教行事の期間は周辺の街が賑わいを見せる。境内には春琴抄の碑が、隣接してくすりの道修町資料館がある。 平野町通 - イトーキ資料館、湯木美術館があるほか、御堂筋に面してガスビル(大阪ガス本社)が、堺筋に面して生駒ビルヂングがある。 淡路町通 - 御堂筋を挟んで西側に御霊神社が、2丁目には船場ビルディングがある。 瓦町通 備後町通 - 堺筋に面してりそな銀行本店がある。 安土町通 - 御堂筋に面する本願寺津村別院(北御堂)に突き当たる。北御堂境内の南西には系列の相愛中学校・高等学校および相愛大学本町キャンパス、南東には大阪第二有楽ビル、御堂ビル(竹中工務店本社・大阪本店)が所在する。 絹張小路(きぬばりしょうじ) - 板屋橋筋 - 堺筋以西・藤中橋筋手前のみ敷かれた小路。元は東横堀筋 - 藤中橋筋まであった。 本町通 - 幅員12間の幹線道路。北船場と南船場の境界。大阪産業創造館(大阪企業家ミュージアム)、メットライフ本町スクエア(旧大阪丸紅ビル)、御堂筋に面して南東にセントレジスホテル大阪がある。 鰻小路(うなぎしょうじ) - 東横堀筋 - 八百屋町筋間にのみ敷かれた小路。 南本町通 - 江戸時代の南本町1丁目上半の通称から古くは米屋町(こめやまち)通と呼ばれた。御堂筋に面してヨドコウ本社がある。 本町の曲り - 東横堀筋の一部。 中央大通 - 幅員80mの幹線道路。船場の区間は1970年に完成。唐物町(からものまち)通と北久太郎町(きたきゅうたろうまち)通の2本の通りとその間の街区が道路用地に充てられている。唐物町通が東行き、北久太郎町通が西行きの平面道路に拡幅され、平面道路の間に繊維問屋が集まる船場センタービルが建ち、その上を高架道路と阪神高速13号東大阪線が走っている。地下には地下鉄中央線が走る。町名は1970年より船場センタービルが船場中央となり、1989年より唐物町残余が南本町に編入、北久太郎町残余が南久太郎町と統合されて久太郎町となった。中央区役所がある。 久太郎町通 - 中央大通の整備までは南久太郎町通と呼ばれた。御堂筋に面する真宗大谷派難波別院(南御堂)に突き当たる。南御堂境内の北にはH型のツインビルである大阪センタービル(北棟)・大阪御堂筋ビル(南棟。旧伊藤忠ビル)、南東には山門を兼ねた南御堂ビル(大阪エクセルホテル東急)が所在する。 北久宝寺町通 南久宝寺町通 - 問屋街で知られ、大阪久宝寺町卸連盟によって東横堀筋 - 心斎橋筋間の歩道にアーケードが設置されている。 博労町通 - 御堂筋に面して西側に難波神社がある。 順慶町(じゅんけいまち)通 - 現在の町名は南船場。三休橋筋との交差付近は宝石貴金属卸が集まる宝飾問屋街となっている。 安堂寺橋(あんどうじばし)通 - 現在の町名は南船場。 塩町(しおまち)通 - 現在の町名は南船場。 長堀通 - 幅員50mの幹線道路。1964年、長堀川が埋め立てられるまでは末吉橋(すえよしばし)通と呼ばれた。現在の町名は南船場。
※この「船場の通」の解説は、「船場 (大阪市)」の解説の一部です。
「船場の通」を含む「船場 (大阪市)」の記事については、「船場 (大阪市)」の概要を参照ください。
- 船場の通のページへのリンク