船場の筋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 07:27 UTC 版)
京都洛中のように多くの町名・町筋が伝統的に継承されず、また京都市や神戸市とは異なり大阪市は幹線道路の愛称しか表記しておらず、さらには、船場が東西方向の町割であることから、筋の名称は現在ではそれほど認知されていない。ただし、電柱や街灯、アーケードの出入口、船場センタービルとの交差部などに筋の名称が表記されている箇所がある。 (東から西の順) 東横堀筋 - 東横堀川沿い。蟹島新地は1783年に築かれた新地であり、東横堀筋は土佐堀通ではなく今橋通からスタートする。本町の曲りで東へ追加される筋へ移った直後、中央大通の高架道路の傾斜の影響で分断され、中央大通を縦断することはできない。 箒屋町(ほうきやまち)筋 - 本町の曲りで東へ追加される筋へ東横堀筋が移るため、同所以南で箒屋町筋と名称を変える。 板屋橋(いたやばし)筋 - 壱丁目(いっちょうめ)筋とも呼ばれる。 八百屋町(やおやまち)筋 堺筋 - 幅員12間の幹線道路。御堂筋の拡幅以前の目抜き通りで、大大阪時代に建てられたビルも数多く現存する。 藤中橋(ふじなかばし)筋 - 難波橋(なにわばし)筋とも呼ばれる。かつては大川に難波橋が架橋され、中国街道に接続する往来の多い道路で、隣の堺筋と繁栄を二分していた。しかし、1911年の市電敷設計画に反対したことが明暗を分け、1915年にはシンボルだった難波橋が堺筋に架け替えられた。その7年前の1908年に長堀川に藤中橋が架橋され、難波橋を失った難波橋筋は藤中橋筋とも呼ばれるようになった。 中橋(なかばし)筋 三休橋筋 - 栴檀木橋(せんだんのきばし)筋とも呼ばれる。大阪市の道路整備計画により歩道幅が確保され、大阪ガスなどから寄贈されたガス灯が並び、風情のある景観となっている。 丼池(どぶいけ)筋 - 繊維問屋街。大阪で最初にアーケードが出来たのが丼池筋である。1993年老朽化により大阪最古のアーケードは撤廃された。現在は丼池ストリートとも呼ばれている。 心斎橋筋 - 島之内側の心斎橋筋商店街が有名であるが、船場側にもせんば心斎橋筋商店街および心斎橋筋北商店街が形成されている。 御堂筋 - 幅員24間の幹線道路。1937年の拡幅までは淡路町通との交点で屈折していたため、同所以南の北御堂・南御堂のある区間を御堂筋、以北を淀屋橋筋と称した。大阪の象徴ともいえる目抜き通り。 御霊(ごりょう)筋・狐小路(きつねしょうじ)・佐野屋橋(さのやばし)筋 - 北御堂・南御堂によって分断されるため、御霊神社の沿道となる北御堂以北が御霊筋、北御堂 - 南御堂間が狐小路、南御堂以南が佐野屋橋筋と呼ばれる。なお、狐小路は旧・北久太郎町通(現・中央大通西行き)まであったが、1970年の中央大通の竣工によって旧・唐物町通(現・中央大通東行き)までに短縮された。 渡辺(わたなべ)筋 - 淡路町通との交点で屈折しているため、同所以北は魚棚(うおのたな)筋とも呼ばれる。 西横堀筋 - 西横堀川沿い。かつて「横堀」という町名だったことから単に横堀筋とも呼ばれる。中央大通の高架道路の傾斜の影響で、中央大通を縦断することはできるものの、高さ制限2.0mとなるので注意。
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