緒戦 ドイツ軍の攻勢
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「1918年春季攻勢」の記事における「緒戦 ドイツ軍の攻勢」の解説
1918年3月21日ミヒャエル作戦(英語版)が発動。アミアンの鉄道結節点の英軍に対してドイツ軍が攻撃を開始した。ルーデンドルフの狙いは英軍と仏軍との分断であった。サン・カンタン(St. Quentin)北部での戦闘でA7Vが投入される。 ドイツ軍は浸透作戦によって塹壕を突破。これ以前は、典型的な塹壕への攻撃は長距離砲の砲撃と連続的な前線の大量攻撃によって行われていた。しかしながら、この攻勢では、ドイツ軍は短時間の砲撃を行い、弱点に5,000挺のMP18を装備した突撃歩兵を浸透させ、司令部と兵站エリアおよび強固な抵抗拠点の周囲の場所を攻撃した。こうして孤立した拠点を、より重武装の歩兵によって破壊した。この攻勢でドイツ軍は8日で65kmという空前の前進を達成した。これほどの前進を果たしたのは1914年以来これが初めてだった。 クーシー(Coucy)の森にはパリ砲が設置され、最初の発射は1918年3月21日午前7時18分であった。最初フランス側では航空機によって爆弾が投下されたものと考えられたが、集められた破片により、それが砲弾による爆発だと判明した。パリに向けて183発の砲弾を撃ち込んだ。これにより多くのパリ市民がパリから脱出した。 快進撃を続けるドイツ軍はパリの120キロ圏内へ進撃。ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は3月24日を国民の祝日とすることを宣言。多くのドイツ国民が戦争の勝利を確信した。しかし、進撃速度に補給線が追いつかず、またドイツ軍の激しい消耗で攻勢は止まってしまった。1918年3月から4月のドイツの死傷者は270,000名に上った。 また、世界初の戦車同士の戦闘が1918年4月24日午前にフランス北部のアミアン近郊、ヴィレ=ブルトヌー付近でイギリス軍のMk.IV戦車(Mk.V戦車とする説もある)三輌と A7V 「メフィスト号(sn. 506)」「エルフリーデ号(sn. 542)」「ニクス号(sn. 561)」三輌の間で行われた。雌型(機銃搭載型)の射撃を物ともしない A7V の攻撃で二輌が撃破されたが、応援の雄型(6ポンド砲搭載型)が A7V 「ニクス号」に砲弾を三発直撃、五名を戦死させ、戦車を放棄させた。残りのドイツ戦車は後退した。このときドイツ側の歩兵部隊も後退しており、イギリス軍の戦車も放棄するには至らなかったため、戦闘の結果判定はイギリス軍の勝利とされている。なお、「ニクス号」は脱出した乗組員が再搭乗し、自力で帰投している。また「エルフリーデ号」も損傷を受けており、戦闘終了後に操縦ミスから転覆し行動不能となった。 同日、一輌の A7V と七輌のマーク A ホイペット中戦車との戦闘が発生した。やはり機銃しか持たないイギリス軍戦車は、一輌がA7Vの砲により破壊され、三輌がドイツ軍野砲の直接射撃で失われた(逆に A7V が倒されたとする資料もある)。 MP18を持つドイツ軍突撃歩兵(1918年春:北フランス) ドイツ軍突撃歩兵に突破されたイギリス軍の塹壕 A7Vに跨乗するドイツ軍兵士(1918年7月) パリ砲
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