緒戦・台湾爆撃とは? わかりやすく解説

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緒戦・台湾爆撃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/05 06:15 UTC 版)

ソ連空軍志願隊」の記事における「緒戦・台湾爆撃」の解説

1937年12月1日訓練終えたソ連航空隊のI-16戦闘機23機とSB爆撃機20機が南京飛行場到着し南京防衛戦初め戦闘参加したプロコフィエフ指揮する戦闘機隊は日本軍の爆撃機2機と戦闘機1機を撃墜したとされ、爆撃隊は長江日本艦隊日本軍飛行場爆撃した。しかし南京日本軍迫り、中ソ航空隊9日南京離れた。この戦いでは、南京失ったことやソ連側士気低かったことから、中ソ両国要員互いに責任転嫁する場面がみられたとされるその後、中ソ連航空隊武漢南昌基地移し防空戦闘日本軍飛行場への爆撃行った1938年2月から4月にかけては、河南省洛陽・帰徳付近に展開するI-15bis戦闘機主力ソ連志願隊と、日本陸軍飛行第2大隊九五式戦闘機)が交戦した。この時には中国空軍機は少数だったため、実質的に日本陸軍ソ連空軍による空戦となった4月上旬台児荘の戦いでは、爆撃機隊が駅や破壊して日本軍増援部隊来援阻止している。 1938年2月23日ソ連赤軍記念日)、フョードル・ポルィーニン(ロシア語版大尉指揮する中ソ混成SB爆撃機隊(28機)は南昌基地発進し台湾海峡越え台北松山飛行場への爆撃敢行した。松山飛行場事変勃発以来日本海軍爆撃機による渡洋爆撃拠点であったSB隊は奇襲攻撃期するため、グライダー化した無音状態で高空から爆弾投下した日本軍迎撃はなく、編隊南昌帰投した。中国側の発表によれば地上日本40機を破壊航空燃料3年分のストック焼却されたとしている。 日本海軍発表では、飛行場被害無く少数住民犠牲になったとしている。

※この「緒戦・台湾爆撃」の解説は、「ソ連空軍志願隊」の解説の一部です。
「緒戦・台湾爆撃」を含む「ソ連空軍志願隊」の記事については、「ソ連空軍志願隊」の概要を参照ください。

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