経塚古墳 (笛吹市)
経塚古墳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 07:46 UTC 版)
経塚古墳(きょうづかこふん)は和泉支群に属す円墳で、出土した円筒埴輪欠から5世紀後半の築造と推定されている。1996年に行われた調査では周溝が検出され、幅11mから14mほど、深さ約1.5mの周溝だったと考えられている。直径は40mから42m、高さは5mと古墳群の中でもかなり巨大だったと推測されていて、狛江古墳群3番目の大きさである。 かつては泉龍寺の敷地内にあり、墳丘から常滑の蔵骨器などが出土したことから、13世紀以降、仏教の宗教的な施設、泉龍寺の一部として再利用されたと考えられている。墳丘の上には仏教の供養塔の一種である板碑が30基ほど建てられ、さらに泉龍寺を再興したとされる奈良時代の良弁僧正の墓とする伝承もある。もう板碑は古墳にはないが、一部泉龍寺内に保存されている。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}本堂より一町半余、西北の間にあり、則境内なり、寺僧相伝ふ、前代良弁といへるが経文を納めたるところなりと、されど村内に大なる塚十三四あり、其内をいつの比か切崩せしに、中より朽ちたる鐵又は甕の類を得たりと云ことあり、恐くは昔し任せる人の墳墓なりやと土人は云り —新編武蔵風土記稿 経塚という名前について、良弁僧正が佛経を埋めたことに由来するとの記述がある。 寺より後の方、用水堀を越えて一丁あまり艮の方、畑の中にあり。少さき岡の上に三囲ばかりの老樹あり。往古、良弁僧都この所に佛経を埋め、松を植えて印とす。この樹下に古牌六枚あり。 —江戸名勝図会 なお、良弁僧正に関する記述はあくまでも伝承であり、史実としての確証は2022年現在得られていない。詳細は泉龍寺のページを参照されたい。 詳細は「泉龍寺 (狛江市)」を参照 普段この古墳へは施錠されているため立ち入ることができないが、東にある集合住宅の「狛江ガーデンハウス」の管理人、もしくは泉龍寺の関係者に許可を得ることで墳頂まで登ことができる。 古墳一帯は1997年2月に狛江ガーデンハウスを建設する際、泉龍寺と住友不動産によって土留めなどの整備がなされた。東京における自然の保護と回復に関する条例に基づき、東京都によって公園緑地として設定されている。
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