算術、幾何学の始まり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 04:08 UTC 版)
イシャンゴの骨といわれる遺物が、ナイル川源流地域(コンゴ民主共和国北東部)で発見されており、紀元前2万年頃のものと推測されている。この骨が表現している内容は、最初期の素数列や、古代エジプトのかけ算であると考えられている。また、紀元前5000年代のエジプト原始王朝のエジプト人は幾何学的・空間的デザインの絵画表現を残している。紀元前3000年代以降のイングランドやスコットランドにおける巨石記念物には、円、楕円、ピタゴラス数、などの数学的概念が織り込まれているとの指摘がある。 古代インド数学で知られている最古の史料は、紀元前3000~2600年頃の、北インドおよびパキスタンに位置したインダス文明(ハラッパー文化)にある。 ハラッパー文化は十進法を使った重量・距離の計量法を発達させ、驚くほど精密で数学的な比率の寸法をもったレンガを作っていた。また、道は完全な直角をなして敷設されている。彼らが用いたデザインには立方体・樽型・円錐・円柱などを含む幾何学的形態や、同心あるいは交錯する円や三角形などの意匠がある。発見された数学用具には、十進目盛が刻まれ、細かく精細な目盛りの付いた正確な定規や、地平座標における角度を40度あるいは360度法で測るために用いられた貝のコンパス、天球を8ないし12分して計測するための貝製の計測器、航法のために星の位置を計測する計測器などがある。インダス文字はまだ解読されていないため、ハラッパーの文字による数学についてはほとんどわかっていない。考古学的な証拠によれば、この文明は、8を基数とする記数法を使っており、円周率πの値を知っていたとの説がある。中国の殷王朝時代(紀元前1600年頃~1046年)には、現在も使われる漢数字の初期のものが、亀甲に彫られている。周王朝の時代にすでに用いられていた算籌(さんちゅう)記法は竹の棒を並べて数を表した方法を字写したものだが、これは位取り記数法の歴史上最も古い現れだと見なすことができる。例えば「123」を(縦書きで)表す場合は以下のようにする。まず「1」を表す数字を書く。次に「100」を表す数字を書く。次に「2」を表す数字を書く。次に「10」を表す数字を書く。そして「3」を表す数字を書く(要するに「一百二十三」と書く)。これは、算盤での計算を可能にした。算盤が発明された時期は不明だが、西暦190年頃に劉徽により書かれた『九章算術』の注釈の中に記述が存在する。
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