算術の修学
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寛政9年(1797年)8月27日、阿波国徳島城下富田紙蔵町に生まれた。定普請小出寛兵衛倅九蔵に字、薬種商戸村屋駒蔵に算盤を学んだ。 文化6年(1809年)青山郡八に開平法を学んだ。16歳の時新シ町一丁目の油売り橘屋貞兵衛に入門を乞うも断られ、代わりに紹介された岡崎三蔵にも入門しなかった。 文化10年(1813年)隣人太田亀之助の斡旋で阿部旗十郎に入門し、宮城流算術を学んだ。文化14年(1817年)参勤交代から戻った旗十郎の師恒川久右衛門徳高に就き、文政2年(1819年)2月宮城流算術の印可皆伝を受けた。 文政7年(1824年)12月算術への専念を決意して藩職を辞し、文政8年(1825年)江戸に出て宮城大学と名乗り、日下誠に入門して長谷川寛、和田寧、内田五観等と共に関流算術を学び、文政9年(1826年)8月宗統の伝を受けた。また、文政9年(1826年)6月同門和田寧に入門して円理学を学び、文政10年(1827年)には会田善左衛門より最上流伝書100巻の伝授を受けた。
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