第17代自由民主党総裁とは? わかりやすく解説

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第17代自由民主党総裁

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 07:57 UTC 版)

橋本龍太郎」の記事における「第17代自由民主党総裁」の解説

1995年9月橋本龍太郎圧倒的な国民的人気背景自民党総裁選出馬する当初現職総裁河野洋平橋本一騎討ち目され早稲田大学出身河野慶応大学出身橋本の「早慶戦」、共に昭和12年生まれ50代の「ニューリーダー対決」などと評されたが、河野洋平は自らが所属する宮澤派支持得られずに「大変厳し多数派工作で、党内亀裂生じるのを恐れる」として出馬辞退する。そして、河野に代わって三塚派小泉純一郎出馬し論客同士の「さわやかな政策論争」、「KK(慶慶)決戦」と評される総裁選展開された。総裁選結果は、数々役職無難にこなし竹下派支持取り付けた橋本龍太郎304票を獲得し87票を獲得した小泉純一郎圧勝した。こうして、橋本龍太郎は、第17代自由民主党総裁に就任し自民党幹事長には宮澤派加藤紘一総務会長には三塚派塩川正十郎政調会長には旧渡辺派山崎拓選任したまた、橋本龍太郎総裁就任伴って村山改造内閣では副総理兼務し引き続き通産相務めた1996年1月11日村山富市首相辞任に伴い橋本龍太郎は第82内閣総理大臣指名され自社さ連立による「第1次橋本内閣」が発足した内閣官房長官には、橋本と共に竹下派七奉行呼ばれた実力者である梶山静六選任された。その後施政方針演説では、橋本改革必要性主張し、「強靭な日本経済再建」「長寿社会建設」「自立的外交」「行財政改革」の4つ最重要課題として挙げた橋本就任当初村山政権下で決定され住宅金融専門公社住専)の不良債権対する6800億円を超える財政支出問題について、新進党が「ピケ」と呼ばれる座り込み運動展開して激しく抵抗しメディア否定的な論調展開した橋本政権序盤から大きな批判逆風さらされた。ただし、海外市場では好感する動き見られた。 1996年2月23日アメリカクリントン大統領との首脳会談橋本普天間飛行場返還要求し4月12日日米政府全面返還合意した普天間代替基地についても安全保障政策環境政策が絡む中でアメリカ沖縄基地自治体関係者対談行い、翌1997年12月24日には比嘉名護市長によるヘリポート受け入れ辺野古移設表明取り付け普天間基地返還本格的道筋付けた。この結果住専問題逓減していた支持率60パーセント上昇した自身59歳誕生日である1996年7月29日に、橋本龍太郎靖国神社参拝した。この現職内閣総理大臣参拝は、中曽根康弘1985年終戦記念日に初の公式参拝をして以来であった同年臨時国会冒頭9月27日橋本龍太郎衆議院解散する。そして、小選挙区比例代表並立制の下で初の衆議院総選挙が行われ、自民党28議席増の239議席復調した。選挙期間中は日本各地から橋本選挙応援依頼殺到し全国で「橋龍人気と言われるほど国民的人気見せ付けて自民党大勝利した。

※この「第17代自由民主党総裁」の解説は、「橋本龍太郎」の解説の一部です。
「第17代自由民主党総裁」を含む「橋本龍太郎」の記事については、「橋本龍太郎」の概要を参照ください。

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