笑点でのキャラクター
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 14:21 UTC 版)
前身番組『金曜夜席』(日本テレビ)の第3回から参加した古参レギュラーであり、同番組ではオレンジ色の色紋付を着用。長らく隣が小難しいインテリ系のくすぐりを得意とする三遊亭楽太郎(現:6代目三遊亭円楽)であるため、挨拶で楽太郎の長舌を受けて「私にはそういう難しいことはわからないんですが…」と頭を振りながらうそぶくことがしばしばあった。 地方収録の際は必ず「郷土の皆様、お懐かしゅうございます。○○(地方収録の行われている地名)で生まれて、新潟で育ったこん平が、故郷に戻って参りました」とホラを吹き、2週目は「第二の故郷というのはありがたいもので、先程から友人知人が手に持ちきれないほどのお土産を持って楽屋を訪ねてきてくれております……」で始まり、「なお、会場の皆様にお知らせがございます。私の帰りのかばんには、まだ若干の余裕がございます」と挨拶した。この新潟出身を前面に出したキャラをやり始めた当初は、まだまだ落語と言えば江戸前、東京という固定観念の強い時代であり、東京、特に下町出身者以外がこのように郷土愛をアピールする例は稀だったため批判も多かったと著書で述べている。 田舎者の権助役であり、大食いキャラ・食いしん坊ネタを売りにしており、メンバーからも攻撃のネタにされていた。『笑点』メンバーの中では一番頭の周囲が大きく、被り物に頭が入らなかったこともあった。「大喜利」では、よく座布団運びの山田隆夫の悪口を言って山田に突き飛ばされたり、蹴り飛ばされたりして座布団を全部持っていかれることが多かった。その他に肥溜めネタ(「2人は肥(恋)に落ちました」など)をはじめとする下品で汚いネタも得意とした。故郷の千谷沢村をこん平は「日本の小京都」と称したが、メンバーからは「人がいない」「ダムの底」などと罵倒された。その一方、「世界平和」「環境保全」などを高らかに謳うネタや、「グランドピアノを施設に寄付」「ニースの別荘」といった大金持ちキャラで回答することもあった。政治ネタを扱う場合には、同じ新潟県出身である田中角栄のモノマネをすることが多かった。 自身が休演する事になり、こん平の代役として出演し始めた弟子のたい平の事を当初は非常に心配しており、この頃は『笑点』を全く見ていなかった。しかし、徐々にたい平が大喜利に慣れ始めると実力を認めるようになり、40周年を機に自身の席をたい平に託す事を決意した。40周年記念特番ではたい平に正式に席を譲る旨が書かれた手紙を送っていた。
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