笑点での小圓遊
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1966年(昭和41年)5月15日から放送された『笑点』(日本テレビ)に第1回から参加。1969年(昭和44年)4月6日、初代司会であった7代目立川談志とレギュラーメンバーとの対立があり『笑点』を一時降板。その期間、自身主演の時代劇や同時期に『笑点』を降板した5代目三遊亭圓楽主演のドラマなどに出演していた。小圓遊が降板してから7か月後の同年11月9日、談志の降板により、司会者が前田武彦へ交代したことで、大喜利でのライバルであった桂歌丸と共に大喜利メンバーへ復帰。以来1980年(昭和55年)10月5日に急逝するまで大喜利メンバーとして参加し続けた。小圓遊の復帰と同時に、弟弟子である三遊亭笑遊(現:5代目三遊亭圓遊)が座布団運びとして加わっているが、8か月で降板した。 『笑点』では、歌丸との罵倒合戦が名物となった。1972年(昭和47年)8月27日放送で特別企画として司会の三波伸介と5代目圓楽の仲介による「手打ち式」が行われるも、すぐに仲違いした。二人の罵倒合戦は『笑点』の高視聴率を打ち出す原動力の一つとなった。 実際は歌丸との不仲は番組を盛り上げるための演出であり、番組を離れての二人は1歳年上の歌丸から古典落語の稽古を付けてもらったりしており、歌丸によれば「アイツとは打ち合わせをしなくても、アドリブでポンポン出てくるんです」と阿吽の仲であったことを伺わせる発言をしている。歌丸曰く「本業の落語より稼がせてもらった」と語るほど歌丸と仕事をする機会も非常に多かったが、地方公演に行った際に駅のホームで歌丸と小圓遊が一緒に立っているのを目撃した視聴者から「仲が悪いはずなのに」と言われたことで、表立っては一緒にいるときは離れて行動するようになったという。 また、大喜利での座布団10枚獲得の賞品として、1972年10月に『マドモアゼル』(クラウンレコード)のタイトルでレコードをリリースしている。 『笑点』では「ボクちゃん〜」で始まるセリフの「キザなキャラクター」を演じていた小圓遊であったが、実際は古典落語を得意とする落語家であり、そのキャラクターとのギャップに苦しんでいたとされる。小圓遊がギャップを埋めようと、プライベートでの服装を和装から洋装へ変えたりするなど試みていたがうまくいかず、次第に酒量が増えていった。元々酒は好きではなかったが、共演していた林家木久扇の証言では、「一緒に飲むと、酒量を気にする奥さんの眼を盗んで、まず相手のコップの酒を一気に飲み、自分はまだ飲んでいないと奥さんを安心させてから、自分のコップの酒を一気に飲む」という飲み方をしていたとされる。
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