笑点勇退後
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2016年5月25日、文化庁が歌丸の文部科学大臣表彰を発表。31日に文部科学省内で表彰式が行われ、馳浩文部科学大臣から表彰状が贈られた。 2016年7月26日、新橋演舞場で開催された「桂歌丸芸歴65周年記念落語会」に出席したが、翌27日、腸閉塞治療のため再入院したことを明らかにした。8月5日に退院。8月11日、国立演芸場で行われた8月中席公演「桂歌丸噺家生活六十五周年記念公演」の初日に出演。高座に復帰した。 2016年8月27日の『24時間テレビ 「愛は地球を救う」39』では、オープニングで開会宣言を担当。笑点のオープニング風に、開会宣言を行った。この年のチャリティーマラソンが笑点メンバーの林家たい平だったことに伴い、たい平以外の笑点メンバーによるマラソン応援団の団長を務めた。なお、たい平がゴールした際には会場に居合わせなかったものの、自宅で『24時間テレビ』を観ながらたい平を常に見守っていたことが明かされている。 2016年12月14日、定期検診で軽度の肺炎と診断され、入院。21日に退院し、22日に群馬県みどり市のながめ余興場で行われた「桂歌丸芸歴65周年 冬の特選大落語会」で高座に復帰したが、ドクターストップを振り切っての退院だったことを明らかにしている。 2017年1月1日、新宿末廣亭正月初席初日に出演したが、翌2日に肺炎で入院した。18日に退院。22日、神奈川県平塚市で行われた「新春落語会」で高座復帰した。 2017年3月18日放送(12日収録)の『古舘伊知郎ショー』(テレビ朝日)の番組内で、引退を検討していることを明らかにした。 2017年4月16日、肺炎のため入院。これに伴い国立演芸場の「4月中席」は、16日から20日まで休演。26日に予定されていた「桂歌丸 高座65周年記念落語会」(なかのZEROホール)は公演中止となった。今回の肺炎は、酸素の過剰吸引に誘発された稀なケースであったとされている。5月13日に退院。6月3日の春風亭小朝との二人会で復帰の予定だったが、前日になって体調不良のため休演することが決まった。「左肺炎慢性呼吸不全の急性憎悪」と診断され、再入院。14日に退院。この日出演予定だった落語会「特選 匠の噺会」では、開演前の舞台に立ってあいさつを行った。 2018年4月19日、国立演芸場にて行われた芸協定席興行で「小間物屋政談」を口演。これが生前最後の高座となった。その後、同月24日に肺炎が重篤化し横浜市内の病院へ入院。6月15日の芸協定期総会で、副会長として補佐してきた三遊亭小遊三が歌丸の長期療養中に伴い、副会長在職のまま会長代行に就任した。最後のテレビ出演は2018年7月1日放送(同年4月7日収録)の「もう笑点」であった。
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