回答者時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 09:13 UTC 版)
2006年5月に4代目司会者の5代目三遊亭圓楽が勇退し、桂歌丸が回答者から5代目司会者に昇格した事に伴い、歌丸の後継で大喜利レギュラーメンバーに加入。以後、10年間に渡ってレギュラー回答者を務めた。大喜利では、銀鼠の色の高座着を着用している。 大喜利メンバー加入のオファーがあった際には、『笑点』でのキャラクターが落語の仕事の邪魔になるのではないかと考えていたが、落語家の親に孝行したいという思いでオファーを引き受けた。メンバーが前座時代から一緒にいる人たちでかつ後輩の林家たい平が林家こん平の代理として先に大喜利メンバー入り(昇太の加入と同時に、正式メンバーに昇格)していた事が、自身にとっては楽だったと語っている。自身の「嫁いないキャラ」が定着したきっかけは6代目三遊亭円楽が「昇太には嫁がいない」などというようなことを最初にいったのがウケたことであり、周りのメンバーがそれに便乗していつの間にかそうしたキャラが完成した。 喋る途中で呂律が回らない、舌を噛むという欠点があり、「カミカミ王子」を自虐ネタとしている。 歌丸司会時代の10年間では座布団10枚を4回経験している一方で、6代目円楽(楽太郎)が率いるブラック団の一員として団長の6代目円楽以上に毒のきつい、歌丸罵倒ネタを時折言い放つ事も何度かあった。 派生番組の『笑点Jr.』では、『BS笑点』として放送開始から放送終了に至るまで総合司会を務めていた。 加入して日が浅い頃には、奇をてらうことのない答えが多く、答えた後に会場が一瞬沈黙状態になることもしばしばあった。 挨拶で自分に関する間抜け話を言っては「それじゃダメじゃん」と一人突っ込みで終わらせるパターンが多かった。2006年末より、他のメンバー(特に三遊亭好楽)もこのパターンを踏襲した挨拶をしばしば用いている。 喋る途中で舌が回らない・舌を噛む事を自虐ネタに用いたり、他のメンバーがからかったりするのだが、これは元々落語家・昇太にしても同じであり、師匠柳昇もまた同様である。普通、落語家にとって噺の途中で噛むというのは聴き取り辛く、不快に思う聴き手も居ることからあまり好ましく無いのだが、この師弟にとっては語り口調としての一つの味わいともいえる。 歌丸に次ぐ高齢である木久扇(旧名、林家木久蔵)の罵倒ネタも多く、最近では、「病院に戻りましょうね」や、「ハイカイ王子」等、徘徊老人扱いするネタをすることがある。 たい平のみが「昇太兄(あに)さん」と呼んでいるが、これは年齢が近い年上だからではなく、落語界での決まりごとで、自分が落語界入りした際に、既に存在する前座ないし二ツ目の落語家を基本的に先輩として「兄さん」と呼ぶことになっている(※同じ一門で既に真打の兄弟子が居る場合は、基本的には「師匠」だが、歳が近かったり、上下関係を気にしない兄弟子なら「兄さん」と呼ぶ事を許す場合もある)。「兄さん」と呼ぶ事に関しては入門先は勿論の事、所属団体も一切関係無い。つまり、たい平がこん平一門に入門した時(1988年)、昇太は二ツ目であり、「兄さん」と呼べる位置に居たという事がわかる。尚、「兄さん」という呼び方をしていた先輩の落語家が先に真打(“師匠”と呼ばれるようになる地位)に昇進しても「兄さん」という呼び方に変わりは無い(因みに上方(関西)は昇進制度が基本的に無いので関東と基準などが異なる)。 歴代大喜利メンバー加入年齢では当時46歳と、歴代最高齢を更新した。 歌丸からは、「役員」と呼ばれることがある(小遊三の「副会長」と同じ理由で)。 地方収録での挨拶は「お待たせしました。ついに、春風亭昇太が“(その地方)”にお嫁さんを見つけにやって参りました!!」とお決まりのフレーズを言っていた。 2016年5月22日、桂歌丸の司会勇退に伴い6代目司会に抜擢。その起用理由は、プロデューサーから「消去法」と冗談めかして語られた。
※この「回答者時代」の解説は、「春風亭昇太」の解説の一部です。
「回答者時代」を含む「春風亭昇太」の記事については、「春風亭昇太」の概要を参照ください。
- 回答者時代のページへのリンク