レギュラー回答者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 17:46 UTC 版)
「お笑いマンガ道場」の記事における「レギュラー回答者」の解説
鈴木義司 漫画家。放送第1回目からのレギュラーメンバー(ただし一部の回では欠席)。パーマのヘアスタイルと蝶ネクタイがトレードマーク。マンガではよく自身を「常に札束を持ち歩く大金持ち」として描きたがる見栄っ張りな一方、富永からは主に「土管に住む妻子持ちで極度の貧乏人」として描かれていた。後述の森山ほどではないが音痴の傾向があり、歌関連のお題の際は時折柏村から突っ込まれることもあった。 富永一朗 漫画家。放送第1回目からのレギュラーメンバーで、最終回まで一度も休むことなく出演した。おっぱいネタや銭湯ネタが多い一方で、叙情的な作品(しばしば「綺麗な作品」と呼ばれた)や、手の込んだ2コマ作品(この時はフリップを2枚使うか、フリップの両面にマンガを描く)なども数多く披露した。鈴木からは「お化けナマコ」「オオサンショウウオ」「タラバカガニ」などの怪生物やホームレス姿で描かれることが多かった。 稀にではあるが、ゲストが1回戦で最初の作品を発表したあと柏村に振られ、柏村とともに作品について批評・添削をすることがあった。まただん吉にマンガにされた時は怒ってスタジオ中追っかけまわすこともしばしばあった。 車だん吉 放送第1回目からのレギュラーメンバー。女性レギュラーと「おまけコーナー」の担当もしていた。本業はタレントだが画力は高く、後に「わんぱっくコミック」や「週刊漫画サンデー」で漫画連載まで持つことになる。富永と鈴木の推薦を受け、漫画家以外で数少ない(公社)日本漫画家協会の会員になった。しかしその一方で例題や他の人が描いたマンガを安易に真似したり、自分で一度描いたマンガを解釈を変えた上で再利用するなどといった、所謂手抜きマンガもよく描いていた。 1985年春〜夏期にかけて腰痛の悪化で出演できなかった時期には、志垣太郎・三波豊和・小堺一機などがピンチヒッターとして出演している。 番組末期はおまけコーナーのみ老眼鏡をかけていたが、のちにオープニングからメガネをかけて出演していた。 エバ 初代の女性レギュラーで元ゴールデン・ハーフのメンバー。ただし最初は準レギュラー的な立ち位置であり、正式なレギュラーになるのは第92回から。1981年3月28日まで出演。 秋ひとみ 2代目女性レギュラー。1981年4月4日から1982年9月25日まで出演。よく大胆なマンガを描いており、その都度だん吉にどつかれていた。この番組を卒業後に芸能界を引退した。 川島なお美 何度かゲストとして出演後、3代目女性レギュラーとして1982年10月2日から1989年8月まで出演(女性レギュラーでは最長)。だん吉を筆頭にレギュラーメンバー全員をネタにすることが多かった。1989年秋に降板が決定したが、同年夏に時代劇の撮影のため乗車したロケバスが谷底に転落する事故で負傷、そのまま前倒しする形で降板となった。不在の間は急遽週替わりで女性タレント(大沢逸美、吉川十和子、エリカ・クローゼ等)がピンチヒッターを務めている。その後、1992年正月の「初笑いマンガ道場」にゲスト出演している。 森山祐子 4代目女性レギュラーで、1989年10月7日から最終回まで出演。かわいい絵を描いていた一方、ゴジラやだん吉の鼻の穴のネタもよく描いていた。また、天然ボケを見せたり、かなりの音痴だったために柏村やだん吉からそのことをよくネタにされていた。 他に毎回ゲストが1名(『初笑いマンガ道場』等の特番や、コンビでの出演で2名以上の場合もあり)出演。中京テレビ製作のためプロ野球のシーズンオフには中日ドラゴンズの選手がゲスト出演した回もあった。また一時期には合間にゲストの歌手による歌のコーナー(所謂ミニライブ形式)があった。
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レギュラー回答者
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「ズバリ!当てましょう」の記事における「レギュラー回答者」の解説
ハナ肇(プロ・チームキャプテン。ちなみに『クイズの王様』ではハナ肇とクレージーキャッツとして、ザ・ドリフターズと共に隔週出演していた)
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