競争相手と後継者たち
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「ジャック・オッフェンバック」の記事における「競争相手と後継者たち」の解説
オッフェンバックと同時期にオペレッタの分野で活躍していたエルヴェ(英語版)(本名フロリアン・ロモンジョ)は実際にはオッフェンバックより近代オペレッタの創始者として数年先行していた。エルヴェは『つぶれた目(英語版)』(1867年)、『シルペリック(英語版)』(1868年)、『小ファウスト(英語版)』(1869年)、『かまとと娘(英語版)』(1883年)などを上演し、興行師としても活躍した。オッフェンバックの後もフランス国内で、オペレッタが無くなってしまったわけではない。ライバルまたは後継者たちはオッフェンバックとは異なる傾向の作品を創造していった。シャルル・ルコックは『にんじん王(英語版)』の初演と同じ1872年に『アンゴー夫人の娘』をブリュッセルで初演し、翌年パリでもフォリー・ドラマティック座(英語版)でフランス初演をした。さらに、1878年に『小公子(英語版)』をルネサンス座で初演し、成功を収めた。ロベール・プランケット(英語版)はフォリー・ドラマティック座で1877年に『コルヌヴィルの鐘』で大きな成功を収め、オッフェンバックを色あせたものにさせた 。また、エドモン・オードラン(英語版)は1880年に『マスコット』をブフ・パリジャンで上演し、成功を収めた。彼らの主要作品はオッフェンバックのオペレッタほどは風刺の要素が強くなく、18世紀のオペラ・コミックに近いとも言われる。そのほかにもエマニュエル・シャブリエ(『 エトワール』1877年、『教育欠如(英語版)』1879年、『いやいやながらの王様』1887年)、ルイ・ヴァルネー(英語版)(『修道院の中の近衛兵(英語版)』1881年)、ルイ・ガンヌ(『曲芸師たち』1899年) 、アンドレ・メサジェ(『ベアルンの女(英語版)』1886年、『ミシュ家の娘たち(英語版)』1897年、『ヴェロニック』1898年、『皇后の竜騎兵』Les Dragons de l'impératrice 1905年、『ムッシュ・ボケール(英語版)』1919年、『情熱的に(英語版)』コメディ・ミュジカル、1928年)、アンリ・グブリエ(フランス語版)(『ミミ・パンソン花記章』La cocarde de Mimi-Pinson、1915年) レイナルド・アーン(『シブレット』1923年、『未だ見ぬ人よ(英語版)』コメディ・ミュジカル1933年)、アンリ・クリスティーネ(英語版)(『フィフィ(英語版)』1918年、『デデ(英語版)』1921年)、モーリス・イヴァン(英語版)(『君の唇(フランス語版)』1922年)、ジャック・イベール(『アンジェリック(ドイツ語版)』1927年)、アルトゥール・オネゲル (『ポゾル王の冒険(英語版)』1929年~1930年)、 アルベール・ルーセル(『カロリーヌ伯母さんの遺言(英語版)』1932年~33年)、ガブリエル・ピエルネ(『フラゴナール』Fragonard、 1934年)、 フランシス・プーランク(『 ティレジアスの乳房 』1947年)などが続いた。1945年にフランシス・ロペス(フランス語版)の『カディスの美女(フランス語版)』が初演されるが、オペレッタの作風は次第にミュージカルに近づいていき、両者の区別はつかなくなって行く。
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