研究の姿勢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 06:48 UTC 版)
彼は幼少時から様々な動物に興味があった。ハチ類に関心を持った理由については、著書の中で旧制高校時代にアメーバやヒドラなど様々な生物について学ぶようになった時、それらが既に生物学書に載っているのに対して、それらを採集に行った時にたまたまヤマトハキリバチの巣作りを見つけ、それがどの本にも載っていないことに驚いたということを挙げている。また、その直後に出会ったファーブル昆虫記の影響も大きかったとのことである。1925年のヤマトハキリバチの観察を皮切りに、ハチ類の習性観察にのめり込み、高校の過程で二度の落第をしている。高校卒業時にはすでに40種のハチの記録を取っていた(四つの新種を含む)。 その後も行く先々でハチを中心に様々な昆虫の観察を行い、いかなる時も観察を止めなかった。例えば敗戦後の食糧難の時期には食料として蓑虫(オオミノガ)の越冬幼虫を集めた際も、これにつく寄生バチを14種記録している。戦後日本に引き上げてきた後の1947年のころから、台湾や海南島のような熱帯の昆虫の多様性と比べて日本の昆虫の多様性が色あせて見えたこと、長年研究を続けてきた関西地方では既に大部分の狩りバチを調べ尽くしてしまっていたこと、またこのころから結婚をして安定した定職についたために自由気ままな野外研究に振り向けることのできる時間が乏しくなったこともあって、ヒメバチ類を中心に様々な昆虫の卵巣の比較解剖学的研究に主力を移し、卵サイズや蔵卵数を調査した。このような、狩バチの習性というある意味で派手な、そして野外研究の分野から地味で室内研究への転身は、しばしば意外性をもって語られる。このヒメバチ研究と初期の狩蜂研究の橋渡しとして、成虫による宿主である造網性のクモへの産卵前の一時麻酔と幼虫の外部寄生という狩蜂じみた生活史を示すクモヒメバチ類に注目したが、彼が観察できたのはゴミグモヒメバチとクサグモヒメバチの2種にとどまった。この分野は彼の没後21世紀になって大阪市立自然史博物館の松本吏樹郎らによって精力的な研究が開始された。 晩年の手記(岩田,1976)では、ヒメバチ研究に関して、卵巣の調査から彼らの産卵能力や生存期間について推察ができるようになったと言い、これを元に今後の展開について希望が述べられ、また巻末では今後の自然観察への意欲が語られる。
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