研究の始まり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 06:06 UTC 版)
この蝶が季節的に移動しているのではないかとの考えの基、マーキング調査が始まったのは、1980年代前半からである。そのような考えが提出されたのはいずれも沖縄滞在の経験者であったという。長嶺邦雄は1962-63年頃に沖縄本島において南部では夏には幼虫も成虫も見られず、中部北部でも成虫が希に見られるだけで定着している証拠がないことから本種が移動している可能性を考えた。森下和彦は少年時代を沖縄で過ごした経験があり、1980年に本種に関する総説的な論文でやはり夏には全く見られず、秋には新鮮な個体がおらず、春には逆に新鮮な個体のみが見られること、また本種がグループとしては熱帯の蝶に属するものの例外的に北に分布を持ち、酷暑を嫌う傾向があることを指摘し、やはり移動している可能性を示した。長嶺の影響を受けた鹿児島昆虫同好会の田中洋は大きな越冬集団が見られないのに春になると個体数が増えることなどから移動している可能性を強く感じた。そこで田中は鹿児島県立博物館の福田春夫の指導を請い、秋に南下移動、春に北上移動を想定し、本種の移動を調査することになった。実験開始が1980年8月で、翌年には南下、北上の長距離移動が確認された。それを知った大阪市立自然史博物館の日浦勇は『アサギマダラを調べる会』を発足、『アサギマダラ情報』を発刊した。当初はマーキングされた個体の再捕獲は困難であったが、その後、各地の同好会などがマーキング活動を行い始めたことで、再捕獲数は増加し、細かな移動までがわかるようになった。
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