研究、評価
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「グリゴリー・ポターニン」の記事における「研究、評価」の解説
ポターニンは、1876年から1880年にかけて二度にわたって行ったモンゴル探検の調査結果を『西北蒙古誌』4巻にまとめあげた。ポターニンが採取したテュルク系民族、モンゴル系民族に関する民族学的資料は、研究者から重要視されている。『中国のタングート、チベット辺境および中部蒙古』には、青海、甘粛に居住するサラール族によって話されるサラール語の語彙が多く含まれている。また、ポターニンはシベリアの少数民族やカザフ人の知識人とも交流を持ち、アラシュ・オルダの成立に影響を与えた。 調査の中で現地の口承を多く採集したポターニンはキリスト教の伝承との共通点が多い点に着目し、キリスト教の発祥地が南シベリア、あるいは北モンゴルにあるという仮説を立てた。ヨーロッパの神話、英雄叙情詩が東方世界から伝播したと仮定するポターニンの「東方起源説」は当のヨーロッパでの評価は低く、主張の裏付けを得るために1897年にパリで文献の調査を行った。 ポターニンが晩年に著した自伝は、当時の人物と時代の背景を精密に述べた名作と評価されているが、単行本としては刊行されていない。 ソビエト連邦時代、ポターニンの研究者としての面のみが強調され、政治運動家としての一面は隠されていた。地質学者のウラジミール・オーブルチェフは、内陸アジア探検で特に功績がある3人の偉人にポターニン、ニコライ・プルジェワリスキー、ミハイル・ペフツォフを挙げ、ポターニンを資料の蒐集において特に高く評価した。オーブルチェフはポターニンの人となりについて、彼が現実の世界に疎いロマンチストで、思いやりのある人間だと述べた。
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研究評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/13 21:11 UTC 版)
「アーヴィング・ゴッフマン」の記事における「研究評価」の解説
ゴッフマンはドラマツルギーによって「インプレッションの術策」(Impression Management)と「役割乖離」(Role Distance)の問題において「個人間葛藤」を発見し、アイデンティティ葛藤の分析に重要な貢献を果たし、この彼の社会学的手法によって理論的にも実証的にも社会学に新地平を開拓したとされる。その一方でインプレッションの術策を駆使する主体、すなわち「自己提示」を為すその主体は何者であるかの問いには答えていない為に「個人内葛藤」という重要な課題を残した。このような課題を解決する方法として、ゴッフマンの提起した自己の複数モデルから、更に個人の生活史が有する主体的な意味を考慮し時間的連続性の視点を加えた、個人のアイデンティティを統合する核心的自我(自我同一性)を想定する単一的自己モデルが提唱され、エリク・H・エリクソンのアイデンティティ理論を応用する社会学(「生活史の社会学」・「精神分析的社会学」)へとつながった。
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