研究・調査・交流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 04:40 UTC 版)
1982年、中国において『中華人民共和国地名辞典』編纂の際の調査中、江蘇省連雲港市贛楡県金山鎮にある徐阜という村が清の乾隆帝の時代以前に「徐福村」と呼ばれており、徐福にまつわる伝承や遺跡があることが判明した。ただし、1980年代になるまでは、現地の旧家では「明代になって先祖がこの地に移住した」との伝承がなされていたことと、徐福の実在性自体が疑わしいことから、日本からの観光客を狙った村おこしではないかとの指摘がなされている。実際に徐阜村には日本人観光客が多く訪れ、名物「徐福茶」も好評だという。 また徐福が出航したとされる候補地の一つ、慈渓市では2000年3月30日に「徐福記念館」が開館したことを契機に日本の徐福研究者や縁者との交流が始まり、翌2001年秋には慈渓市竜山鎮文宛南路に「徐福小学」が開校した(なお、同校の揮毫は徐福の末裔と主張する日本徐福会名誉会長で内閣総理大臣も務めた羽田孜が行った)。 2008年10月、佐賀市に於いて佐賀・徐福国際シンポジウムが開催された。日本・中国・台湾・韓国から研究者が多数参加し、発表を行なった。吉野ヶ里遺跡との関連についても講演が行なわれた。
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