日本での研究・評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/30 14:47 UTC 版)
「ゴンザとソウザ」の記事における「日本での研究・評価」の解説
ゴンザとソウザの事績が日本ではじめて記述されたのは1884年の『外交志稿』で、巻之十四に 享保十四年(西暦一千七百二十九年)七月薩摩若島丸一船風ニ逢フテ露国柬察加ノ海岸ニ漂着シ土人ノ為メニ害セラレ所左権左ノ二人僅ニ生命ヲ全フシ彼得堡ニ送ラル(米国人所著日本人漂流記) と記されている。江口によるとこの記述はおそらくミュラー (Gerhard Friedrich Müller) の『Voyages from Asia to America』(1761年出版、オランダ語からの翻訳)によっている。 ゴンザの著書については1909年に八杉貞利によって初めて紹介され、その後亀田次郎や吉町義雄による研究がある。1960年代以降村山七郎が次々にゴンザの著書をローマ字や片仮名で翻字出版してから広く知られるようになった。1985年に村山が鹿児島でゴンザに関する講演を行ったために鹿児島県内での知名度が高まり、1994年にはゴンザファンクラブが結成された。 鹿児島市天文館には1995年に命名されたゴンザ通りがある。いちき串木野市の羽島崎神社の中にはゴンザ神社とゴンザ像がある。
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