日本での石油エネルギーへの転換
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 06:35 UTC 版)
「エネルギー革命」の記事における「日本での石油エネルギーへの転換」の解説
日本における「エネルギー革命」とは、一般的には第二次世界大戦後の1960年代に、それまで燃料の主役であった石炭から石油や天然ガスへ転換されたことを指す。 1950年代に中東やアフリカに相次いで大油田が発見され、エネルギーの主役が保守の手間がかかる石炭から石油へと移行した。日本においても1962年(昭和37年)10月の「原油の輸入自由化」をきっかけとして、石炭は長く続いたエネルギーの王座を石油に譲ることとなった。大量に安く供給された石油は、さまざまな交通機関、暖房用、火力発電などの燃料として、また石油化学製品の原料として、その消費量は飛躍的に増えた、特にモータリゼーションに伴う自動車の普及は石油の消費にさらなる拍車をかけた。 他にも日本国内産の石炭の生産を中止して低価格で品質の良い輸入石炭に移行した現象や、集合住宅の普及で家庭での暖房器具が燃料主体から火災のリスクが少ない電気を主体とした器具に移行した現象などに対しても使われることがある。 日本のエネルギー革命は他国と同様、蒸気機関よりも熱効率が良く保守の手間がすくない内燃機関の発達を促し、産業の高度化にもつながった。反面、北海道空知地域・福島県東部・山口県西部・九州北部(筑豊など)の産炭地ではそれまで産業の基盤であった炭鉱が次々と閉山に至り、多くの炭鉱労働者が失業し、関係自治体の著しい衰退へとつながっていった。 家庭用のエネルギーに関しては、1950年代においてもなお、多くの家庭の暖房や炊事に木炭や薪などの木質エネルギーが用いられていた。1950年の木炭の生産量は年間約200万トン、1956年の薪の生産量は3,400万層積石(1層積石を125kgで換算すると約425万トン)、統計に反映されない自家生産分や製材所の鋸くず、端材などの二次利用分を考慮すれば、膨大なエネルギーを国内の森林から調達していた。これら木質エネルギーは高度経済成長とともに急速に石油、ガス、電気などに移行するようになると、かまどや土間のない住宅の建設がすすんだこともあって、薪炭の生産量は、1970年代までにかつての1/10といった桁違いの減少を見せた。家庭内のエネルギー革命は、家庭内の無煙化や家事労働の低減など近代的な生活環境をもたらしたが、一方で山間奥地の木質エネルギー生産の場からは廃業が相次ぐなどほぼ壊滅状態となり、過疎化が急速進んだ結果、多くの集落が限界集落を通り越して消滅集落となった。
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