日本での硫黄の生産
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 10:02 UTC 版)
日本には火山が多く、火口付近に露出する硫黄を露天掘りにより容易に採掘することが可能であることから、古くから硫黄の生産が行われ、8世紀の「続日本紀」には信濃国(長野県米子鉱山)から朝廷へ硫黄の献上があったことが記されている。鉄砲の伝来により火薬の材料として、中世以降は日本各地の硫黄鉱山開発が活発になった。江戸時代には硫黄付け木として火を起こすのに用いられた。明治期の産業革命に至り、鉱山開発は本格化する。 明治時代においては、安田財閥は釧路の硫黄(アトサヌプリ#硫黄鉱山を参照)で築かれたと揶揄されるほどであった。純度の高い国産硫黄は、マッチ(当時の主要輸出品目)の材料に大量に用いられ、各地の鉱山開発に拍車がかかった。1889年には、知床硫黄山が噴火とともにほぼ純度100 %の溶解硫黄を沢伝いに海まで流出させるほど大量に産出したため、当時未踏の地だった同地に鉱業関係者が殺到したという。海軍軍人・郡司成忠による1893年(明治26年)第一次千島拓殖にも硫黄採掘の記録がある。 昭和20年代の朝鮮戦争時には「黄色いダイヤ」と呼ばれるほど硫黄価格が高騰し、鉱工業の花形に成長したが、昭和30年代に入ると資源の枯渇に加え、石油の脱硫装置からの硫黄生産が可能となったことで生産方法は一変する。エネルギー転換に加え大気汚染の規制が強化されたことから、石油精製の過程で発生する硫黄の生産も急増し、硫黄の生産者価格の下落が続いた結果、昭和40年代半ばには国内の硫黄鉱山はすべて閉山に追い込まれた(岩手県の松尾鉱山、群馬県の万座硫黄草津鉱業所は1969年に閉鎖)。現在、国内に流通している硫黄は、全量が脱硫装置起源のものである。
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