真偽論争とは? わかりやすく解説

真偽論争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/29 00:49 UTC 版)

東日流外三郡誌」の記事における「真偽論争」の解説

東日流外三郡誌』(およびその他の和田家文書)については、考古学的調査との矛盾実際十三湊発掘調査では津波痕跡確認されておらず、また十三湊最盛期津波襲ったとされる時期以降であったらしい)、「古文書」でありながら近代学術用語である「光年」(そもそも光速有限であることが証明されたのは17世紀後半である)や「冥王星」準星」など20世紀入ってからの天文学用語が登場する など、文書中に現れる言葉遣い新しさ発見状況不自然さ和田家建物1941年昭和16年建造家屋であり、古文書天井裏隠れているはずはない)、古文書筆跡和田喜八郎のものと完全に一致する、編者履歴矛盾がある、他人論文盗用した内容含まれている、等の証拠により、偽書ではないかという指摘なされた。これに対し真書であると主張する者もおり、偽書派・真書派間で対立した。特に、偽書派の安本美典真書派の古田武彦との間では、雑誌テレビ・論雑誌等論争が行われた。 1999年平成11年)に和田喜八郎死去した後、和田家偽書派により綿密に調査なされた。この結果天井裏古文書を隠すスペースなど確かに存在せず後日公開され和田家内部写真 によれば膨大な文書収納できるようなスペースはなかった)、建物内には原本がどこからも発見されなかった上、逆に紙を古紙偽装する薬剤として使われたと思われる液体(尿を長期間保管したもの)が発見され偽書であることはほぼ疑いがないという結論になった青森県教育庁編『十三湊遺跡発掘調査報告書』には、「なお、一時公的な報告書論文などでも引用されることがあった『東日流外三郡誌』については、捏造された偽書であるという評価が既に定着している」と記載されるなど、現在では公的団体偽書であることを公表している。 2007年平成19年)、古田武彦は『東日流外三郡誌』の「寛政原本」を発見した発表2008年平成20年)には電子出版された。しかし、これについて作家原田実は、その筆跡ことごとく従来和田家文書と同じであると主張している。「寛政原本」は既に活字化された『東日流外三郡誌』のいずれとも対応しておらず、その意味では(活字化されたものの)テキスト対す原本とはいえない[要出典]。

※この「真偽論争」の解説は、「東日流外三郡誌」の解説の一部です。
「真偽論争」を含む「東日流外三郡誌」の記事については、「東日流外三郡誌」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「真偽論争」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「真偽論争」の関連用語

真偽論争のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



真偽論争のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの東日流外三郡誌 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS