真偽鑑定の疑問点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/18 21:40 UTC 版)
「宇宙人解剖フィルム」の記事における「真偽鑑定の疑問点」の解説
1995年3月26日のプレスリリースの中で、フィリップ・マントルはフィルムがコダック社によって50年前のものであると確認された、と述べていた。ところが、サンティリの仲間がコダック社に接触したのは6月5日になってのことだった。プリントされたイメージを見せられた営業担当者は、そこに写るエッジコード(四角と三角)と文献を照合して、1927、1947、1967年のいずれかに製造されたフィルムであることを確認した。その後、サンティリからフィルムの提出を受けた各地のテレビ局がコダック社に真偽鑑定を依頼し、どれも1927、1947、または1967年の製造を示すエッジコードがついていた。しかし、どのフィルムにも死体解剖のシーンは写っておらず、異星人解剖フィルム自体の製造年を証明するものではなかった。サンティリはいくつものテレビ番組の中で、適切な場面が写ったフィルムを提供すると約束したり、すでにコダック社に提出されていると述べたりしていたが、実際には解剖シーンが写ったフィルムが提出されたことはない。 1995年8月19日、アメリカの雑誌編集者ボブ・シェルBob Shellは、フィルムを分析した結果1947年のものと明らかになったと発表した。シェルによると、死体が置かれる前のテーブルが写ったフィルムは「Cine Kodak Super XX」であり、このフィルムタイプは1956-57年に製造中止となったものである。エッジコードが1927、1947または1967年だったのだから、1947年の可能性だけが残るという。しかし、シェルのフィルムストリップにはエッジコードがなく、Cine Kodak Super XXという証拠も提出されたフィルムボックスのリールラベルの写真コピーだけであった。また、写っていた机とドアのシーンは最初にテレビ局に配られたビデオにはなく、後にサンティリの会社が販売した"Roswell: The Footage"の先頭部分に初めて現れた。その上、解剖シーンとの間にはブランクシーンが挟まっており、写っていた机も解剖台には低すぎた。シェル自身もこれが解剖フィルムが1947年に撮影された証拠にならないと認めている。 1947年のオリジナルのフィルムとしてFOXテレビに提出されたフィルムストリップは、1960年あたりまで導入されていなかったBell & Howell "C-printer"で作られた複製であることが明らかになった。フィルムが両孔か片孔かは重要な点であるが、シェルとFOXテレビに提供されたフィルムストリップ試料はどちらも片側がちぎり取られて両孔か片孔か判断できなくなっていた(当時使われていたBell & Howell Filmoカメラはフィルムの両側に爪を引っ掛けるスプロケットだったため、片孔のフィルムは使えなかった)。さらに、リールラベルには1947年10月まで存在しないはずの国家軍政省(NME)またはその後継で1949年8月に設立された国防総省(DoD)の、鷲をあしらった記章が押印されていた。 テントフッテイジがアメリカで私的に上映されたとき、"Restricted acces / A01 classification / JULY 30th 1947"というコードマークがついていた。ところが、"Restricted access"は米軍コードでは認められておらず、"A01 classification"は「純粋なハリウッド」だとして退けられた。また、日付の表示も米軍の日-月-年形式でなく、月-日-年形式だった。後に、テントフッテイジがイギリスで上映されたとき、このコードマークは消失していた。
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