白鳳伽藍とは? わかりやすく解説

白鳳伽藍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 02:38 UTC 版)

薬師寺」の記事における「白鳳伽藍」の解説

金堂 - 1976年昭和51年再建奈良時代仏教彫刻最高傑作1つとされる本尊薬師三尊像国宝)を祀る薬師三尊像については後述)。上層写経納められ納経となっている。再建にあたっては、「持って数百程度木材ヒノキ)は千年持つ。を使うとその部分から腐食する」と主張する宮大工文化財保存技術者西岡常一と、「台風地震火災からの文化財保護観点からも鉄筋コンクリート補強が望ましい」と主張する名古屋工業大学教授竹島卓一意見衝突するが、結果金堂内陣のみは鉄筋コンクリート造られることとなった。なお、慶長5年1600年)に増田長盛によって再建され入母屋造以前金堂は、1975年昭和50年)に興福寺に仮金堂(現・仮講堂)として移築された。その際寄棟造改造され向拝撤去している。 東塔国宝) - 三重塔既出西塔 - 1981年昭和56年再建東塔対称的な位置に建つ三重塔。旧塔は享禄元年1528年)に戦火焼失している。この塔はかつての伝統様式技法によって再建されたものであるデザイン東塔似ているが、東塔裳階部分白壁とするのに対し西塔は同じ箇所連子窓設けるなどの違いもある。東塔も元々は連子窓であった修復白壁にされている。再建に際しては、西岡常一により、西塔使用極力少なく木材乾燥収縮考慮して東塔より約30センチ高くして再建されている。500年後には西塔東塔同じよう材木撓み基礎沈下起きて同じ高さに落ち着く計算とのことである。 大講堂 - 2003年平成15年3月21日再建正面41m、奥行20m、高さ17mあり、伽藍最大建造物である。以前大講堂享禄元年1528年)に戦火焼失後、嘉永5年1852年)に再建されたものであったが、今回再建にあたって解体されている。本尊三尊像(重要文化財)は、中尊像高267センチ大作だが、制作時期当初はどこにあった像であるかなどについて謎の多い像であるが、大講堂安置される直前には西院弥勒堂弥勒三尊像として祀られていた。大講堂安置後は金堂本尊同様に薬師三尊像」としていたが、今回大講堂再建後弥勒三尊像に復している。堂内には仏足石国宝)や仏足跡歌碑国宝)も安置されている。 食堂 - 2017年平成29年再建本尊阿弥陀三尊浄土図」を祀る。 東僧坊 西僧坊 鐘楼 中門 - 1984年昭和59年再建。 東回廊 西回廊 東院堂(国宝) - 鎌倉時代弘安8年1285年再建境内東側回廊の外に建つ。元明上皇冥福を祈るために娘の吉備内親王養老年間717年 - 724年)に建立した禅院前身である。当初南向きであったが、享保18年1733年)に西向きに建て変えられた。堂内厨子本尊聖観音立像国宝)を安置する龍王社 勧進所 休ヶ岡八幡宮若宮社重要文化財) - 鎌倉時代末期築。 弁財天社 平木大明神社 不動堂 與樂唐院 - 北受付となっている。 聚寶館 大宝殿 南門重要文化財) - 室町時代永正9年1512年建立境内正面にある小規模な四脚門。元は薬師寺西院の門だったが、後に現在地である南大門跡地移築した

※この「白鳳伽藍」の解説は、「薬師寺」の解説の一部です。
「白鳳伽藍」を含む「薬師寺」の記事については、「薬師寺」の概要を参照ください。

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