病院船朝日丸とは? わかりやすく解説

病院船朝日丸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/23 05:53 UTC 版)

朝日丸」の記事における「病院船朝日丸」の解説

1937年7月日中戦争勃発。その約1ヵ月後の8月17日朝日丸海軍徴用されて呉海軍工廠に於いて病院船改装された。乙一客室手術室に宛がわれた。改装はすぐに終わり一週間後の8月25日には病院船としての初の航海呉淞向かった朝日丸呉淞陸軍傷病兵収容し8月30日に呉に帰投病院船としての初の航海終えた以後日本本土中支方面往復した。ところが、1938年3月26日朝、大事故発生する。この日、朝日丸定期検査及び設備改善のため三菱重工業神戸造船所にて係留中、突然船体左舷傾斜岸壁にもたれかかったとなって座礁し遊歩甲板左舷船室まで水没してしまった。原因検査のためにバラスト移動させたため重心変わってしまい、バランス崩してしまったのが原因とも言われたが、復原力の悪い朝日丸に重い医療器具多数積み込んだことが条件悪くしたという説明もある。事故に関して査問委員会開かれた同年6月初旬には修理終わり、再び病院船として中支方面などへ航海した1939年近海郵船日本郵船合併され朝日丸移籍1940年朝日丸三菱重工横浜船渠にて二番煙突撤去。もともと二番煙突はダミーファンネルだったが、「復原力改善のためには撤去するのがよい」という意見よるものだった。1941年12月2日朝日丸別府出港しパラオ向かった太平洋戦争勃発時にはパラオ向けて航海中で、ほどなくパラオ到着した開戦後同年12月23日朝日丸連合国対し病院船として氷川丸11,622トン)、高砂丸大阪商船、9,315トンとともに船名要目姿形などが通知された。パラオ治療補給あたったダバオ進出し同様に治療補給あたった。しかし、患者増加して対応しきれなくなることが予想されたため、応援として高砂丸ダバオ回航されて治療補給にあたることとなり、朝日丸患者乗せて1942年2月11日紀元節の日に佐世保帰投した。 整備の後、朝日丸は再び南方進出。この時、朝日丸病院船としての必要物資人員の他に、戦艦金剛榛名宛の弾薬560発も搭載していた。朝日丸ダバオ加えてセレベス島ティモール島方面行動した。しかし、ティモール島クパン近海航行中3月26日朝日丸イギリス空軍機の爆撃受けた幸いにして直撃弾はなかったものの、すぐさまこの事実大本営発表報じられ日本政府中立国通じてイギリス政府抗議した朝日丸4月28日佐世保帰投後、播磨造船所船体修繕並んで赤十字標識改正設備入れ替えなどを行った改修なった朝日丸ミッドウェー海戦参加したが、敗北により進路変えてトラック諸島入港し海戦沈没損傷した重巡洋艦三隈最上の負傷者収容したその後も、日本本土南方占領地幾度となく往復し医療品輸送現地での治療傷病兵送還活躍した1943年11月10日朝日丸特設病院船としての任を解かれ特設運送船となった

※この「病院船朝日丸」の解説は、「朝日丸」の解説の一部です。
「病院船朝日丸」を含む「朝日丸」の記事については、「朝日丸」の概要を参照ください。

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