異本との校合など
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/09/16 17:39 UTC 版)
「正嘉本源氏物語系図」の記事における「異本との校合など」の解説
奥書によれば、本古系図は数十巻の系図との校合を行ったとされるが、本文中に異本との校合を記した場所は以下のように巣守巻の登場人物についての言及など数カ所にとどまっている。 今上帝の子について、現行の源氏物語の本文による限り同一人物である四宮と常陸宮を別々の人物として列挙する現存本でいえば伝為氏本古系図・伝清水谷実秋筆本古系図・日本大学蔵本古系図・学習院大学蔵本古系図・神宮文庫蔵本古系図や源氏物語巨細のような系図があることに触れ、「異本では四宮と常陸宮を別人として扱うが誤りではないか」と批判している。 冷泉帝が桐壺帝の子として何番目に記述されているかということについて、公式には橋姫巻において冷泉帝が桐壺帝の第十皇子であるとされている(実際には光源氏の子である)ことなどから、多くの古系図では桐壺帝の子としては朱雀帝・光源氏・蛍兵部卿宮・宇治八の宮(同人はこの名の示す通り第八皇子である)といった人物よりも後の桐壺帝の子としては最後尾に置かれながら「即位した人物なのだからもっと前の場所に記述するべきではないか」といった主張を述べている。 本故系図に於いて最も著名な異文注記である「源三位・頭中将・巣守三位・中君」という四人の巣守関連の人物記述について、冒頭の源三位の人物注記において「以下四人流布本無し」と注記した上で以下のように記している。 源三位 以下四人流布本無し父宮の御つたへにて琵琶めてたくひき給ふもとの上にをくれて後よのありさまともしくしてすくし給ふいまの上はもとの上はらからなり故輔中納言のもとの上 頭中将 母藤中納言女もとは兵衛佐あねのすもりの三位に匂兵部卿かよひ給ふつたえ人にてことにいとをしくしてすくし給ふいまの上はもとの上のはらからなり故輔中納言のもとの上 巣守三位 母同一品宮にまいり給て御琵琶の賞に三位になる兵部卿宮のかよひ給ひければはなやかなる御心をけさましく思てかをる大将ののあさからすきこえけれは心うつりにけりさて若君一人うむ其後みやあやにくなる心くせの人めもあやしかりけれは朱雀院の四君のすみ給ふ大うちやまにかくれまいるみめうつくしくてひわめてたくひきし人なり 中君 一品宮の女房 なお、この記述の「流布本」については、 「源氏物語古系図の流布本」。 「源氏物語本文そのものの流布本」 の二つの立場が存在する。 現行の源氏物語の本文には、夕霧の最終官位について、右大臣であった夕霧が竹河巻において昇進して左大臣になったとの記述があるにもかかわらず、それ以後の巻においてその後降格するという記述も無しに昇進以前のままの右大臣という官位が記述されているという古くから矛盾ではないかと指摘されている個所があり、近年では竹河巻の後記挿入説や別作者説の根拠ともされている。これについて多くの古系図が夕霧の注釈に「薫中将の巻に右大臣、竹河の巻に左大臣とあり」(薫中将の巻とは匂宮巻のことを指す)と記述する中で、この「正嘉本古系図」だけが通常の記述に加えて「蜻蛉の巻に左大臣とあり」なる他の古系図に見られない記述を行っており、この記述も古系図相互の校合の結果ではなくいずれかの源氏物語本文との校合の結果である可能性がある。 常磐井和子は、このような校合の姿勢や校合の対象とした諸系図を「所々の証本」・「家々の証本」などと呼んでいることなどを考え合わせて、この正嘉本古系図が多くの源氏物語系図の校合を行った目的は、伝本によって大小異なるさまざまな異伝を収集するというよりも、あくまで正しい姿を求めるという「保守的な立場にあったのではないか」としている。
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