異本阿蘇氏系図(科野部分)
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「諏訪氏」の記事における「異本阿蘇氏系図(科野部分)」の解説
田中卓が1956年(昭和31年)に九州で発見した数点の阿蘇家の系図(『異本阿蘇氏系図』として1960年(昭和35年)に公表)の中には科野国造の氏族であった金刺氏(後の下社大祝家)を記したものがある。この系図には『神氏系図(大祝家本)』にも見られる名前があることから、金井典美らは「金刺氏が諏訪社の創立者で、神氏(諏訪氏)は金刺氏の分家」とする見方を提出した。こうした説は一時的に主流説と言えるほどになったが、1990年代以降はこれに反対する意見が次々と出た。 この系図においては、 阿蘇神社の祭神・武五百建命の子孫の金弓君(金刺舎人の始祖)の子・麻背君が科野国造に復帰、さらにその子の倉足(くらたり)は諏訪評督となる。 倉足の弟・乙頴は「諏訪大神大祝」で、『大祝家神氏系図』に見られる「神子(熊子)」と比定されている。 乙頴、一名は神子、又は熊子と云ふ。生まれて八歳にして、御名方富命大神化現し、御衣を神子に脱ぎ着せ、勅して曰く、「吾に体無し、汝を以て体と為す」と。磐余池辺大宮朝二年丁未三月に社壇を湖南山麓に構ひ、諏訪大神及び百八十神を祭りて、千代田の忌串を刺し之れを斎き奉る。(原漢文) 『異本阿蘇氏系図』の科野部分 『大祝本神氏系図』にも出てくる名前には下線が引いてある。 武五百建命(建磐龍命)科野国造 健稲背命科野国造 健甕富命科野国造 健諸日古命(健諸日別命)健隈照命に養育される 女健隈照命の妻 健莒止理命 健守矢命 伊努古君 檜樹君 世襲彦命 武麻呂 大磐君 金弓君(金刺舎人祖) 麻背君(五百足君)科野国造 目子(他田氏祖) 倉足諏訪評督 乙穎(神子・熊古)諏訪大神大祝 狭野諏訪評督 隈志侶大祝 百枝諏訪郡領 弟兄子大祝
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