大祝家本神氏系図
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『神氏系図(大祝家本)』(『神氏系図 称一族系図』名義で『諏訪史料叢書 巻28』に収録)の後書部分によると、 科野国造・健甕富命が死んだ後に、茨木国造・許々意命は新たに科野国造を拝命したが、非道な人間であったため、建御名方神の子・伊豆早雄命の後裔の健隈照命が彼を放逐して、自ら科野国造に就任し、健甕富命の娘を娶った。 神氏の始祖は有員ではなく健隈照命の後裔の五百足の子・神子(熊子)であり、有員はその子孫にあたる。 寺田・鷲尾(2010年(平成22年))はこの記述を怪しいと見て、「異本阿蘇氏系図に関連する金刺氏系図から、神氏の側が捏造した可能性もある」と評価している(ただし、金刺氏系図が『神氏系図』の内容を剽窃した可能性もなくはないと指摘している。)。 神代の事は幽邈にして記し難し。伝へて曰く、諏訪大明神は、天照大神の御弟・健早須佐之男命の六世孫・大名持命の第二子、御名方富命神是れなり。尊神、父大神の大造の功を輔け、国土を経営す。終に天祖の命を奉り、之れを皇孫の命に譲り、永く此の国に鎮座す。 子・伊豆早雄命の十八世の孫、健国津見命の子・健隈照命、科野国造・健甕富の女を妻る。健甕富命の子・諸日別命、幼くして父を亡くす。是れに於て茨木国造・許々意命、磯城島宮天皇の御宇、科野国造を拝す。許々意命、綏撫の道を失ひ、健隈照命、之れを逐ひ、竟に襲ふ。国造九世の孫・五百足、常時に尊神を敬事す。一日、夢に神告有り、「汝の妻・兄弟部、既に姙れり、身分娩せば必ず男子を挙ぐ。成長し吾将に之れに憑み有らんと欲せば、汝宜しく鍾愛すべし。」夢覚めて後、之れを妻・兄弟部に語る。兄弟部亦夢を同じくし、怪しみ、且つ慎み、後に果して男子を産す。因りて神子(くまこ)と名づく。亦熊子と云ふ。 神子八歳の時、尊神化現し、御衣を神子に脱ぎ着せ、「吾に体無し、汝を以て体と為す」と神勅有りて、御身を隠す。是れ則ち御衣着祝(みそぎはふり)・神氏有員の始祖なり。用明天皇御宇二年、神子社壇を湖南山麓に構ふ。(以下略、原漢文) 『大祝家本神氏系図』後書の系図化 [建御名方神後裔]御名方富命神(諏訪大明神) 伊豆早雄命 17代略 健国津見命 [科野国造家]健甕富命(死後、茨木国造・許々意命が科野国造に就任) 健隈照命(許々意命に代わり科野国造となる) 女 諸日別命(科野国造職に就かず) 8代略 五百足 兄弟部 神子(熊子) 神代 弟兄子 国積 猪麿 狭田野 高取(豊麿) 生足(繁魚) 豊足(清主) 大祝・有員(武麿)
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