大祖国戦争の開戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 09:30 UTC 版)
「チェルヴォナ・ウクライナ (軽巡洋艦)」の記事における「大祖国戦争の開戦」の解説
第二次世界大戦勃発により、チェルヴォーナ・ウクライーナも近代戦へ対応するため主砲を新型のものに換装するなどの武装強化が計画され、1941年1月にはセヴァストーポリ軍港のセーヴェルナヤ・ブーフタ(北湾)で改修工事に入った。しかしその計画は急遽延期され、5月には戦列へ復帰した。応急処置として、若干の機銃が増備されている。 独ソ戦が始まった1941年6月22日、ニコライ・バシーストィイ1等大佐指揮の下、チェルヴォーナ・ウクライーナはセヴァストーポリにあった。6月23日から25日にかけて、港湾部への機雷敷設作業に従事した。7月5日の深夜、セヴァストーポリの艦隊は新しい拠点となるノヴォロシースクへ出航、翌6日午前9時、目的地へ無事到着した。8月27日16時19分には、再びセヴァストーポリを出航して29日8時55分にノヴォロシーイスクへ帰着した。
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