町屋の造りと「内蔵」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/18 10:23 UTC 版)
「横手市増田伝統的建造物群保存地区」の記事における「町屋の造りと「内蔵」」の解説
増田の町並みは、同じく「蔵の町」として知られる倉敷、川越、喜多方などとは違い、表通りを歩いて目にすることができる蔵はほんの数軒にすぎない。一見するとただの古びた商家の奥に豪華な内蔵が隠れているのが、増田の大きな特色であり魅力とも言えよう。 前述の通り、増田地区の町割りは通りに面して短冊状に敷地が割られ、各家の主屋が通りに面しており、主屋背後に「内蔵」(うちぐら)と呼ばれる鞘付土蔵が接続されている。この内蔵は「鞘」(さや)と呼ばれる主屋と一体となった上屋に覆われており、外からは見えない構造となっている。 敷地内での配置は通りに面する側から、主屋・鞘付土蔵・庭の順で並ぶものが多く、庭では「外蔵」(とぐら)と呼ばれる独立した蔵が設けられる例も多い。敷地背面が裏通りに接する場合、通りに面して門と板塀が設けられており、各家は「表通り」「側面・路地通り」「裏通り」において3つの異なる様相を見せる。 通りに面する「主屋」は切妻造り二階建て妻入りのものが多く、妻飾りとして化粧梁や化粧束を現し、更に巨大な梁首を突き出し斗栱や木鼻といった寺社建築を思わせる装飾も見られる。(これらはあくまで装飾であり建物の構造体とは関係がない)二階窓には「霧除け」と呼ばれる小庇を出し、繁垂木や扇垂木、「二軒(ふたのき)」など装飾性の高いものも多い。妻側の「螻羽」は一間余りと非常に深く、建物の表情に陰影を与えている一方で、軒先は一尺から二尺と極めて短い。これは秋田県地方の町屋に多く見られ、有数の豪雪地方である増田においては特にそれが発達したものと考えられる。この他にも、数は少ないものの入母屋造り棟入り(興文堂東海林書店)や、木造三階建ての主屋(旧石田理吉家)、土蔵造りの店蔵(旧村田薬局、旧佐々虎呉服店)なども見ることができる。内蔵のみならず、これら伝統的な町屋の外観を数多く残している点も高く評価されている。 主屋内部は建物南側を通り土間が貫き、入り口から店(見世)、おえ(居間)、水屋などが続き通り土間に面して中庭を設けて採光を図るなどの工夫も見られる。主屋から棟続きの鞘(覆屋)が続き高い吹き抜けの蔵前となり巨大な生活空間を構築し、通り土間の一番奥に内蔵を配するのが増田の一般的な町屋の構造である。 一般的な内蔵の造りは、前後に掛け子塗りの扉を設け、壁は磨き上げられた黒漆喰塗り、壁面下部及び扉は「鞘飾り」と呼ばれる漆塗りの木枠が配されている。扉の蛇腹は五段にも及ぶものもあり、光沢を放つほどに磨かれた黒漆喰、工芸品のような豪華な鞘飾りなど建築・左官技術の域を超えて芸術的ですらある。 蔵の構造体は欅、栗、松などの良材をふんだんに用い、五寸五分の通し柱を壁面に一尺間隔でびっしりと並べる内蔵も見られる。梁は重ね梁や束立てといった和小屋組からトラス構造まで多彩で、建築年代による技法の違いを比較することもできる。これらの柱や梁を漆塗りで仕上げた内蔵もあり、今なお建築当時の眩いばかりの輝きを放っている。これら法外とも思える贅の限りを尽くした蔵の建築が可能だったのも、鞘に覆われた内蔵という特殊な構造あってのものだろう。 用途は、物品や文書を保管するための「文庫蔵」と、当主や家族の私的空間として使用される「座敷蔵」に大別され、前者は全面板の間、後者は1階奥を畳敷として内部を2室に分けている。座敷蔵の方が数が多く、文庫蔵を後から座敷蔵に改装したものも多く見られる。ただし、寺社や酒蔵では、座敷蔵として使用されているものも文庫蔵と呼びならわす例があるとされる。 現在19棟(うち3棟は事前予約制)が公開され、見学が可能である。
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