生い立ちから佐治一成との婚姻とは? わかりやすく解説

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生い立ちから佐治一成との婚姻

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 15:58 UTC 版)

崇源院」の記事における「生い立ちから佐治一成との婚姻」の解説

浅井長政三女として近江国小谷(現・滋賀県長浜市)に生まれる。母は尾張国織田信秀の娘・市。生年について享年54(『以貴小伝』)、天正12年1584年)に12歳であったとする説(『幕府祚胤伝』)から逆算した天正元年1573年8月定説とされている。乳母には民部卿局つけられた。上記小谷出生説異論を唱える史料もあり、延宝7年1679年)に成立した安土創業録』(蓬左文庫所蔵)では、小谷城脱出したのはお市の方と娘2人であり、お市の方岐阜で江を出産したとある。 天正元年9月1日1573年9月26日)、浅井長政が市の兄である織田信長対立し小谷城攻め落とされ長政らは自害し浅井氏滅亡する。江は母の市や姉の茶々、初とともに藤掛永勝らによって救出され信長保護の下岐阜城留まり伊勢上野城三重県津市)主で信長の弟の織田信包預けられたとされてきたが(『信長公記』『総見記』『浅井三代記』)、近年の研究によると母の市と三姉妹尾張国守山城主で信長叔父にあたる織田信次(江には大叔父にあたる)に預けられたことが明らかとなっている(『渓心院文』)。天正2年9月29日織田信次戦死した後、信長岐阜城転居することになる。 天正10年1582年6月2日本能寺の変において信長は、家臣明智光秀による謀反横死する。6月27日織田家後継者決め清洲会議により、母の市は織田家臣柴田勝家再婚して勝家居城である越前国北ノ庄城移り三姉妹越前へ移る。勝家羽柴秀吉敵対し天正11年1583年)には賤ヶ岳の戦い北ノ庄城落城、市は勝家共々自害する。江ら三姉妹北ノ庄脱出して秀吉により保護されとされる(『以貴小伝』)、また三姉妹保護したのは秀吉ではなく織田信雄ともいわれている。 この頃、江は秀吉意向により、尾張国知多郡大野領主信長次男織田信雄家臣であり、従兄にあたる佐治一成のもとへ嫁いだという(『太閤素生記』『柳営婦女伝系』『玉輿記』)。佐治氏は、一成の父・佐治信方信長の妹(お犬の方)を室とした織田一族で、秀吉清洲会議後に尾張領有した信雄の懐柔意図していたという。江と一成婚姻時期事情については記録見られないが、天正12年1584年)に秀吉小牧・長久手の戦い徳川家康織田信雄戦い、信雄方の一成戦後大野追放され、江とも離縁したといわれる経緯から、同年初めに想定されている。小牧・長久手における一成動向などは『柳営婦女伝系』『以貴小伝』『玉輿記』などに記され一成家康渡船提供した佐屋の渡一件により秀吉怒りを買い、追放されたという。また、一成は信雄家臣秀吉内通し星崎城主・岡田重孝加担して信雄に追放されたとする説もある。文書においては小牧・長久手以降にも一成の名は見られるものの、天正13年1585年)作と推定される織田信雄分限帳においては一成の名が見られず、小牧・長久手後の論功行賞において一成大野追放されたと考えられている。 一方で近世鳥取池田家伝来する佐治氏由緒書には、婚姻信長存命時の天正2年1574年)としている。同年には一成の父・信方戦死し信方戦死後お犬の方織田家戻って他家再嫁していることから、江と一成婚姻信長意向により織田家佐治氏の関係を修復する意図であった可能性考えられており、また婚約のみで実際に嫁いでなかったとする説もある。上記の説以外にも、江を佐治一成に嫁がせたのは秀吉ではなく織田信雄であったとする指摘もある。

※この「生い立ちから佐治一成との婚姻」の解説は、「崇源院」の解説の一部です。
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