生い立ちから八雲との結婚まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 02:06 UTC 版)
「小泉節子」の記事における「生い立ちから八雲との結婚まで」の解説
1868年(慶応4年)2月4日、松江に生まれセツと命名される。父は出雲松平家の番頭で家禄300石の小泉弥右衛門湊、母はチエ。生後7日で親類で子供の無かった家禄100石の稲垣家の養女となる。幼いころから物語が好きで、大人たちから昔話、民話、伝説などを聞いて育った。明治維新で士族は家禄を失い困窮した。節子の稲垣家も没落したため、小学校を優秀な成績で卒業し上級学校への進学を希望したにもかかわらず11歳から織子として働き家計を助けた。節子が18歳の時に稲垣家は士族の前田為二を婿養子として迎えるが、為二は困窮に耐えられず一年足らずで出奔した。1890年(明治23年)、22歳の初めに正式に婚姻関係を解消して小泉家に復帰した。小泉家も困窮しており、1891年2月頃一人住まいのハーンの家に住み込み女中として働き始めた。
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