現在の妙円寺詣り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 14:10 UTC 版)
平成5年(1993年)からは、多くの人が参加できるよう毎年10月の第4土・日曜日に開催しており、2014年時点では約8万人が妙円寺詣りのため伊集院町の地に足を運んでいる。令和2年(2020年)と令和3年(2021年)は新型コロナウイルス感染症の影響により、ステージイベント、ウォークラリーなどのイベント、出店業者による物産展などは開催されず、武者行列、郷土芸能の奉納、武道等の行事大会など、妙円寺詣り自体は行われた。 現在は、鎧武者姿で歩く参拝者のほか、軽装の一般的な服で歩く参拝者も多く、鹿児島市内をはじめ、近郊からの数々の幼稚園、保育園、学校も、隊を組み参加して参拝しており、陣羽織姿や武道用の袴姿で歩く学生、ダンボールでつくられた紙鎧を着て歩く小学生の参拝者もいる。鹿児島市の照国神社から歩く片道約20kmコースのほか日置市の『チェスト館』から歩く10kmコースも行われており、途中には日中に休憩所のテントが張られ、お茶、甘酒、漬物、梅干し、飴玉、黒砂糖などが参拝者に振る舞われる。妙円寺詣りが行われる期間の数週間前からは、『チェスト館』からの鹿児島県道206号徳重横井鹿児島線の途中に、全国の有名武将の家紋が個別に印刷されたのぼり旗や、徳重神社や妙円禅寺の奉納のぼり旗が立てられている。県道206号線から途中あえて脇道にそれ、昔のおもむきが感じられる「薩摩街道 出水筋」跡を歩く参加者も多い。南九州西回り自動車道の伊集院インターチェンジと猪鹿倉南交差点との中間には、大小さまざまな妙円寺詣り関連の解説パネルも、壁面に複数設置されている。申し込みをして決まった時間に出発する企画もあるが、時間に関係なくおのおの自由に歩く参拝者も多い。 他にも当日は、徳重神社付近や鹿児島県道206号徳重横井鹿児島線における中央通りや向江町本通りにおいて歩行者天国となる交通規制が行われ、鎧冑に身を固めた武者行列、火縄銃の一斉射撃、薬丸自顕流の演武、『太田太鼓踊』(県指定無形民俗文化財)、『徳重大バラ太鼓踊り』(県指定無形民俗文化財)など郷土伝統芸能や民俗芸能の奉納、琉球國祭り太鼓、音楽隊のパレードなど、ステージイベントも含め夜遅くまで次々と行われ、境内で行われる弓道競技をはじめ相撲、剣道、柔道、銃剣道、空手道など武道を中心とした体育行事大会の競技や、生花、茶道等も行われる。また、堺鉄砲研究会を主宰する澤田平からの提案により、鹿児島県では種子島にある3つの鉄砲隊に続く設立で、鹿児島県本土としては初となる鉄砲隊の『薩摩日置鉄砲隊』が平成27年(2015年)8月27日に結成され、同年の妙円寺詣りで初めて実演を行っており、馬上筒、抱え大筒、捨て奸を含めた火縄銃の砲術が、毎年実演されている。 島津氏の初代当主である島津忠久が誕生したとき雨だったことから、鹿児島県民の間では昔から雨天は「島津雨」と呼ばれ、縁起が良い気象だと好意的に捉える風習があるため、雨が降ることを喜ぶ参加者も多い。
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