妙円寺詣り
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妙円寺詣り(みょうえんじまいり)は、鹿児島県日置市で行われる行事である。鹿児島三大行事の一つ[1][注釈 1]。毎年10月における第四週の土・日曜日に行事が行われる[2]。
注釈
- ^ あとの2つは後述の、曽我どんの傘焼き、赤穂義臣伝輪読会。
- ^ 別名は鶴丸城。
- ^ 廃仏毀釈前の妙円寺。
- ^ 険しい山や坂の道も達者に越えることができるように、日頃より足腰を鍛え備えるよう、いつも思っておくべきだ。
- ^ 15、16歳から24、25歳まで。
- ^ 実際に、そのような競争が妙円寺詣りで行われたという記録は無い。また、ドラマでは夜ではなく昼に行われていた。
- ^ 西郷隆盛の少年期。
- ^ 通説では、
横堀三助 ()だと言われている。 - ^ 京セラの創業者。
- ^ 稲盛は、家の近くで行われ毎年のように参加した曽我どんの傘焼きや、学校の行事として行われた赤穂義臣伝輪読会と比べ、妙円寺詣りには、あまり参加しなかったと語っている[9]。
- ^ a b 鹿児島県指定無形民俗文化財。
- ^ 戦国時代頃には、すでにこの言葉が使われていた。
- ^ 1881 - 1922年。南九州市知覧町出身。当時、鹿児島女子師範付属小学校の教諭だった。
- ^ a b 前述の解説パネルの妙円寺詣りの歌が掲載されているものには、顔写真が掲載されていた。
- ^ 1868 - 1938年。霧島市牧園町高千穂に顕彰碑がある。生前、恵まれない孤児のために施設も創設している。
- ^ a b 店舗入口の表示名は、御菓子司すずき。
- ^ 別名、ひろしま菓子博2013。
出典
- ^ a b “かごしま市民のひろば2015年7月号” (PDF). 鹿児島市広報デジタルアーカイブ. 鹿児島市広報課. p. 3. 2018年7月8日閲覧。
- ^ “妙円寺詣り”. 一般社団法人 日置市観光協会. 2023年9月12日閲覧。
- ^ a b 松元町 1986, pp. 222–223, 「第十三章 島津藩 第二節 妙円寺詣り」。
- ^ a b c 岩川拓夫「妙円寺詣り 今も生きる「武者」の志」かごしま文化を語る 『南日本新聞』2015年9月4日、12面。
- ^ a b 『大久保利通文書』第九巻 マツノ書店。
- ^ 中村明蔵『薩摩民衆支配の構造 : 現代民衆意識の基層を探る』南方新社、2000年、196-197頁。ISBN 4931376363。 NCID BA47549983。全国書誌番号:20085691。
- ^ 吉田健一「稲盛和夫の少年時代と鹿児島の精神教育 -自彊学舎関係者インタビューから-」『鹿児島大学稲盛アカデミー研究紀要』第2巻、鹿児島大学、2010年、155,177、hdl:10232/11802、ISSN 1884-6009、NAID 40017666812。
- ^ 北康利「思い邪なし 第一章 勝ちに見放されたガキ大将 郷中教育(二)」『毎日新聞』2017年11月11日付朝刊、12版、24面。
- ^ 北康利「"義"を大切にした郷中教育」『稲盛和夫伝:利他の心を永久に』PHP研究所、2022年12月3日。ISBN 978-4569902845。
- ^ 勝目清、北川鉄三「第5編 明治前期の鹿児島」『鹿児島市史』鹿児島市、1969年2月、719頁 。2023年9月11日閲覧。
- ^ 坪井昭二「越後人・本富安四郎の『薩摩見聞記』の中の「士平民」と 薩摩の数学」(PDF)『日本の科学者』第58号、日本科学者会議、2023年8月、1頁、CRID 1520578603918784256、ISSN 00290335、2023年9月11日閲覧。
- ^ 福田賢治 (2018年). “明治維新150周年 薩摩の地域づくりの歴史” (PDF). 鹿児島市. 2023年9月11日閲覧。
- ^ “知っていますか?郷土の伝統行事”. 松原神社. 2023年9月11日閲覧。
- ^ 下土橋渡「特集・近代の礎をつくった幕末諸藩の教育力 - 郷中教育が培った薩摩の士魂」『季刊 日本主義』No.22 2013年夏、白陽社、2013年6月15日。
- ^ “10/26 55年前の妙円寺詣り(1963)”. MBCアーカイブス 昭和のふるさと. MBC南日本放送 (2018年10月26日). 2024年6月15日閲覧。
- ^ “太田太鼓踊”. 鹿児島県. 2021年10月23日閲覧。
- ^ “伊集院町徳重大バラ太鼓踊り”. 鹿児島県. 2021年10月23日閲覧。
- ^ 「日置市に火縄鉄砲隊――有志37人県本土初」『南日本新聞』2015年9月3日、16面。
- ^ “1 島津氏の発祥について”. 鹿児島県 (2016年5月31日). 2022年1月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年10月17日閲覧。
- ^ 小平田史穂 (2020年9月25日). “時雨の旗 「ドリフターズ原画展」に寄せて”. 尚古集成館. 2020年10月17日閲覧。
- ^ “令和に残したい鹿児島の言葉!島津雨、てげてげ!”. MBC南日本放送 (2019年5月3日). 2021年1月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年10月28日閲覧。
- ^ 「妙円寺参りの歌CD化 日置市観光協 市議会議場で録音」『南日本新聞朝刊』南日本新聞、2007年7月12日、23面。
- ^ “「妙円寺詣りの歌」作曲者を追悼 日置の4人、霧島の顕彰碑訪問”. 南日本新聞. (2018年7月15日). オリジナルの2018年8月4日時点におけるアーカイブ。 2018年8月4日閲覧。
- ^ 西田実 『チェスト関が原 歌碑建設記念』 春苑堂書店、1982年。
- ^ 西田実 『大西郷の逸話』 南方新社、2005年、325 - 326頁。
- ^ a b 林壮一郎「あの味 この味 鹿児島・伊集院まんじゅう 煎った米粉の香ばしさ」『毎日新聞』、2019年6月17日、朝刊、鹿児島県版、23面。
- ^ “伊集院まんじゅう”. 日置市観光協会. 2020年10月17日閲覧。
- ^ “【解禁】ついに明かされる伊集院まんじゅう誕生秘話”. ひおきと. 日置市 (2023年7月31日). 2023年9月12日閲覧。
- ^ “第26回全国菓子大博覧会・広島 鹿児島県受賞者名簿” (PDF). 鹿児島のお菓子屋さん・鹿児島県菓子工業組合. 鹿児島県菓子工業組合 (2013年8月5日). 2022年4月12日閲覧。
- 1 妙円寺詣りとは
- 2 妙円寺詣りの概要
- 3 妙円寺詣りの歌
- 4 参考文献
- 妙円寺詣りのページへのリンク