郷中の行事としての妙円寺詣り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 14:10 UTC 版)
「妙円寺詣り」の記事における「郷中の行事としての妙円寺詣り」の解説
新納久仰による文政11年(1828年)の記録には、この頃には既に大勢の甲冑を纏った武士が参拝する中、寺内でアワの粥が売られるほどの行事になっていたことが記されている。大正10年(1921年)に大久保利武が先祖の墓参りへ赴いた際、いちき串木野市川上にある大久保家の分家で発見した大久保利通の日記には、大久保利通が嘉永元年(1848年)、妙円寺詣りに参加して鎧を着て歩き、同じく妙円寺詣りに参加していた西郷隆盛らと偶然出会い、共に参拝したことが記されており、当時は鹿児島城下の千石馬場に男女や身分を問わず多くの見物客が詰めかけるほど、大きな催しだったことも記されている。また大久保は、着用した鎧が痛く繕ってもらったことも記しており、「薩人の幸せ安泰、天下よく治まっている訳は、義弘公の有り余る徳があるからこそで、有志の士がこの日に安閑徒然と耽って歓談していることは、すなわち罪人である」とも記している。 NHK大河ドラマの「西郷どん」の第1話では、それぞれの郷中における小稚児や長稚児で構成した各メンバーが、一番乗りの褒美をかけて競う藩の催しとして妙円寺詣りが描かれ、主人公の西郷小吉たちが一番乗りで寺に到着し、褒美の餅を勝ち取るが、その道中で揉めた他の郷中の一員、尾田栄作から後日、腹いせに襲われ、鞘ごと振り下ろした刀の鞘が割れたことで、西郷が右腕の付け根を切られてしまうという内容が放送された。
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