釣り野伏せ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/25 14:38 UTC 版)
釣り野伏せ(つりのぶせ)、釣り野伏(読み同じ)は、戦国時代に九州の戦国大名である島津義久により考案・実践されたと言われている戦法の一つ。「釣り野伏せり」と呼ばれることもある[要出典]。なお、大友氏配下の立花道雪など同じ九州の武将も類似した戦法を用いた記述がある。
- ^ 『井樓纂聞 梅岳公遺事』 p.94
- ^ 紹運の智略「柴田川の戦い」
- ^ 吉永正春『筑前戦国史』柴田川の戦い p.103~106
- ^ 中野等、穴井綾香『柳川の歴史4・近世大名立花家』P.45
- ^ 『筑後将士軍談』 卷之第十六 立花高橋與波多筑紫挑戰之事 P.423~428
- ^ 久留米高良山合戦
- ^ 吉永正春『筑前戦国史』道雪、紹運、筑後出陣 p.198~200
- ^ 「大友興廃記」巻第十七 宗像合戦之事
- ^ 『井樓纂聞 梅岳公遺事』 p.121
- ^ 『筑後将士軍談』 卷之第二十 蔚山合戦之事 P.550~552
- ^ 秋月の合戦<九州の安東氏のルーツ(2012年7月31日時点のアーカイブ)
- 1 釣り野伏せとは
- 2 釣り野伏せの概要
- 3 概要
- 4 類似例
- 5 関連項目
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