特殊警察部隊
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「中国人民武装警察部隊」の記事における「特殊警察部隊」の解説
1977年のルフトハンザ航空181便ハイジャック事件や1980年の駐英イラン大使館占拠事件を受けて、公安部は1982年にハイジャック対策部隊(地面反劫机特种警察部队)を編成して対テロ作戦に着手した。この部隊は、1983年に武装警察に隷属替えされたのち、1985年には特殊警察学院として改編されて、対テロ作戦の研究教育機関としての役割を帯びるようになった。ただしその後も、実働にあたる特殊部隊(隼突撃隊)としての役割も兼ね備えている。 また、それぞれの地域で発生した凶悪犯罪に対処するため、局地警備部隊の総隊ないし支隊ごとに、SWAT部隊である特勤部隊が設置されている。都市部では、武装警察ではない人民警察(公安民警)の特殊警察部隊(公安特警)が担当することが多いが、首都である北京市では、北京市公安局の特警部隊(藍剣突撃隊(中国語版))とは別に、武装警察の北京市総隊(中国語版)でも、特殊部隊として第13支隊第3特殊任務大隊(雪豹突撃隊)を編成した。また首都圏ともされる河北省でも天剣突撃隊が編成されており、雪豹突撃隊や天剣突撃隊は「特殊部隊オリンピック」とも呼ばれているAnnual Warrior Competition(英語版)で優勝するなど中国の特殊部隊では最精鋭の部類とされる。 海警総隊深圳海警局の特殊任務部隊(海上特勤隊(中国語版))は、創設時に香港警察のSDUから指導を受けており、その後もSDUと交流がある。
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特殊警察部隊
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「中華人民共和国人民警察」の記事における「特殊警察部隊」の解説
「中国人民武装警察部隊#特殊警察部隊」も参照 従来、警備警察的な事案は中国人民武装警察部隊(武警)の担当とされており、1980年代に諸外国の趨勢にあわせて対テロ作戦に着手した際にも、最初こそ公安部直属でハイジャック対策部隊(地面反劫机特种警察部队)を設置したものの、間もなく武警に隷属替えされて、特殊警察学院・隼突撃隊として改編された。 しかしこの時期、改革開放とともに、中国国内でも凶悪犯罪の増加が問題になりつつあった。例えば1987年には、洛陽市で逃亡中の殺人犯がバスを乗っ取り、公安民警と武警の検問を突破しようとして洛陽黄河公路大橋上で銃撃戦となり、乗員乗客12名が死亡する事件(洛阳黄河大桥武装劫持人质案)が生じている。この情勢に対して、1988年末、仏山市公安局は20名規模の特警部隊(特种警察队)を設置して、民警独自のSWAT部隊の嚆矢となった。当時、公安局部内にはこの種の作戦のノウハウがほとんどなかったため、編成にあたっては、海軍陸戦隊偵察大隊を中心とする退役軍人を招集している。 その後、同様の問題に直面していた他の地方政府でも同種部隊の創設が相次ぎ、例えば1992年には上海市公安局でも特警部隊が設置された。また北京オリンピック警備を控えて、2005年には、公安部からの指示によって36ヶ所の指定都市で特警部隊が創設されたほか、装備の更新も図られた。また2008年の四川大地震に際しては災害警備にもあたっている。現在の公安特警では、SWAT部隊(突击队)のほか、武装警邏部隊(公安巡特警)、暴動鎮圧・雑踏警備部隊(公安防暴警察)も編成されている。
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