特急「北斗」の登場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 04:51 UTC 版)
「北斗 (列車)」の記事における「特急「北斗」の登場」の解説
1965年(昭和40年)11月1日:函館駅 - 旭川駅間(函館本線・室蘭本線・千歳線経由)の特急「北斗」(ほくと)が1往復運行開始。また、急行「すずらん」も1往復増発し、2往復体制とする。 1967年(昭和42年)3月1日:特急「おおぞら」の函館駅 - 旭川駅間の系統を廃止し、函館駅 - 釧路駅間の単独列車となる。また、函館駅 - 旭川駅間を小樽駅経由で運行する特急「北海」(ほっかい)が運転開始。なお、この列車の詳細は「ニセコライナー」を参照。 1968年(昭和43年)10月1日:ヨンサントオのダイヤ改正により、次のように変更される。急行「すずらん」の1往復を特急「北斗」に格上げし、函館駅 - 札幌駅間を運行。旭川駅発着列車と合わせて2往復となる。 「たるまえ」・「アカシヤ」・「石狩」を「すずらん」に統合。 1969年(昭和44年)10月1日:ダイヤ改正により、次のように変更する。特急「北斗」の札幌駅発着列車の名称を「エルム」に変更。 急行「すずらん」の1往復を特急に格上げし、函館駅 - 旭川駅間の特急「北斗」を増発。「北斗」自体は2往復のままである。なお、「北斗」増発列車には奥羽本線特急「つばさ」を特急形の181系気動車に置き換えて、捻出した82系気動車を使用する計画であったが、「つばさ」に充当する予定だった181系の落成が1970年2月にずれ込んだため本改正に間に合わず、増発した「北斗」には急行形気動車である56系気動車が充当された。このため、82系気動車が導入されるまでの間、増発した「北斗」の特急料金を100円引きする措置が取られた。 1970年(昭和45年)10月1日:特急「おおとり」の釧路駅発着編成を分離。「おおとり」は函館駅 - 網走駅間を運行する編成のみとなる。 1971年(昭和46年)7月1日:特急「エルム」が「北斗」に編入され廃止。「北斗」は3往復となる。また「北斗」の1往復を函館駅 - 札幌駅間の運行に見直し。 1972年(昭和47年)3月15日:函館駅 - 旭川駅間(函館本線・室蘭本線・千歳線経由)の特急列車を「おおぞら」に移行。「北斗」は函館駅 - 札幌駅間のみ2往復となる。 1973年(昭和48年)10月1日:急行「すずらん」の1往復を特急「北斗」に格上げし、「北斗」が3往復に増発。 1980年(昭和55年)10月1日:このときのダイヤ改正により、次のように変更。特急「おおぞら」の旭川発着系統を再度廃止。これ以降「おおぞら」は滝川駅 - 旭川駅間での運行がなくなる。 急行「すずらん」の定期列車の運転を終了。臨時列車のみとなる。 1981年(昭和56年)10月1日:特急「おおぞら」の1往復を札幌駅で系統分割し、札幌駅 - 函館駅間を「北斗」としたことにより、「北斗」が4往復となる。 1983年(昭和58年)6月1日:「北斗」1往復に183系気動車を投入。食堂車の連結なし。 1985年(昭和60年)3月14日:臨時急行「すずらん」を特急「北斗」に統合し、「北斗」が5往復に増発。ただし、この1往復は1986年10月31日までは82系気動車を使用し、列車番号が6000番台の季節列車の扱いであった。 なお、夜行臨時列車の名称として「ミッドナイト」の運行開始まで「すずらん」の名称が使用される。 1986年(昭和61年)11月1日:特急「北海」の廃止 および「おおぞら」1往復の系統分割により、「北斗」が3往復増発され8往復となる。なお、このとき「北海」の代替の「北斗」1・16号は、青函連絡船深夜便との連絡の兼ね合いからほかの列車より停車駅を少なくして速達性を高め、全車座席指定席制とした。
※この「特急「北斗」の登場」の解説は、「北斗 (列車)」の解説の一部です。
「特急「北斗」の登場」を含む「北斗 (列車)」の記事については、「北斗 (列車)」の概要を参照ください。
- 特急「北斗」の登場のページへのリンク