無作為性の研究と理論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 06:11 UTC 版)
「ナシム・ニコラス・タレブ」の記事における「無作為性の研究と理論」の解説
タレブは自身を「懐疑的経験主義者」と称している。しかし、 タレブの懐疑主義は、他の懐疑主義者とは異なり、「経験的観測からは稀な事象が必ず発生する確率を計算することはできない」という点に関心が向けられており(黒鳥理論)、科学的知識が有用であることは認めている。タレブは、人間は不都合な結果を考えず、物事にだまされやすいと主張する(「凡庸派」)。 タレブの経験主義は、データから一般化することに抵抗することと、観測するときに、一般原則だけから考えていると、隠れた属性を見逃すかもしれないということを示唆している。彼は、科学者も経済学者も歴史学者も政治家もビジネスマンも資本家も、「パターン」という幻想でしかないものの犠牲者だと信じている。そういう人々は、過去のデータを合理的に説明することの価値を過大評価してしまい、データの中にある「説明できない無作為さ」の影響を軽く見る傾向がある。 タレブは「黒鳥堅牢性」というコンセプトを中心とした社会構築を主張する。それは、特に彼が「過激派」と呼ぶ種類の事象について、複雑系の低い予測可能性と関連した相互依存の影響を低減させる、というものである。 タレブは、ソクラテス、セクストス・エンペイリコス、ガザーリー、ピエール・ベール、ミシェル・ド・モンテーニュ、デイヴィッド・ヒューム、カール・ポパーと続く懐疑主義者の長い系譜を踏まえて、我々は自分で思っているほど物事を知らず、未来を予測するために、むやみに過去を使うべきでないとした。さらに、タレブは、「不完全な理解と不完全な情報の下での行動をどうすべきか」という意思決定フレームワークを生み出した。その後、タレブは、無作為性の哲学や、科学や社会での不確かさの役割を研究するようになり、好ましいかどうかに関わらず、特に重大な影響を及ぼす無作為な事象を主題としている。タレブは、これをブラック・スワン(黒鳥) と呼び、歴史の流れを決定付けているとする。 タレブは、多くの人々が黒鳥(黒い白鳥)を無視していると考えている。すなわち、人間は、世界が何らかの構造を持ち、普通で、理解可能なものだと見るような傾向があるという。タレブは、これをプラトン的誤り と称し、その結果、次の3つの歪みが生じるとしている。 物語の誤り: 後付けでストーリーを構築し、事象に特定可能な原因があると思い込む。 滑稽な誤り: 実世界に見られる構造を持たない無作為性がゲームなどに見られる構造化された無作為性に似ていると思ってしまう。タレブは、ランダムウォークモデルやそれに関連する確率論に批判的である。 統計的回帰の誤り: 確率の構造は、一群のデータから導出できると思い込む。 また、タレブは、人間の行動原理には不透明さの3つ組があるという。それは、以下のようなものである。 現在の事象を理解しているという幻想 歴史的事象への遡及的歪み 実際の情報の過大評価と、それに関連した知識人の過大評価 タレブは、大学は知識を創造することよりも、広報や資金集めが得意だと考えている。知識や技術を生み出すのは、彼が確率的ないじくり回しと呼ぶものがであって、トップダウンの研究が生み出すことはないと主張する。 タレブは、社会科学の一般理論に反対している。彼は、実験や事実の収集は支持するが、データの裏づけがない机上の理論を利用することに反対している。彼の研究自体は、厳密に技術的であり、定量的分析も定性的論証も行っている。 タレブは、自身の考え方を「理論」と呼ばれることを好まない。彼は、汎用的理論やトップダウンの考え方に反対している。そのため、黒鳥のことを「理論」だと言ったことは一度もない。そのため「黒鳥理論」という言い回しではタレブにとっては矛盾してしまう。2007年の著書「The Black Swan」では、「反理論」または「黒鳥のアイデア」と呼んでいる。 タレブは、経済理論にまつわる学術的雰囲気も好まない。彼は「The pseudo-science hurting markets」という記事の中で、、経済理論から受ける損害は破壊的であるとして、ノーベル経済学賞の廃止を主張している。
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