海老名の憲政碑除幕式とは? わかりやすく解説

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海老名の憲政碑除幕式

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 07:39 UTC 版)

憲政碑」の記事における「海老名の憲政碑除幕式」の解説

1933年昭和8年10月1日午前発起人胎中楠右衛門の他、衆議院議長秋田清文部大臣鳩山一郎商工大臣中島久萬吉、元内務大臣望月圭介立憲政友会幹事長山口義一神奈川県知事横山助成海老名村望月珪治、そして憲政功労者遺族500名が参列して憲政碑除幕式が行われた。当日小田急小田原線新座間駅まで満員であり、新座間駅大忙しとなり、またタクシー足りないために駅で降りた式典参列者が右往左往したとのエピソード残っている。 式典はまず胎中邸隣の曹洞宗金龍山常泉院法要営まれ引き続き碑の除幕式執り行われた。式は海老名村望月珪治の開会の辞続き胎中楠右衛門の孫である胎中敬が碑を覆っていた幕を外し憲政碑がその姿を現した。 続いて発起人胎中楠右衛門挨拶をした。胎中はまず 近時世上一部政党排撃し、憲政呪詛するごとき声を聞くが、それらの言うところに大いなる錯覚がある。 と述べた上で、現憲法明治大帝欽定された不磨の大典であるので、わが国憲政微動だにしないのである主張した続いて胎中は、議会政治政党擁護論展開する憲法厳存する以上、政党存在して議会政治運用円滑にすることは自然の必要である。すべて専制政治甘んじ民権も自由も無くてよいという国民ならばともかく、いやしくも文化程度向上して全国民政治関心持ち政党によって政治意識表現し、それによって国民としての福利増進しいわゆる一君万民の実を挙げて国運を拓開していこうとする日本国民政党排撃し、憲政呪詛すべきではない。 と語った胎中は更に、憲政のために尊い犠牲払った実例として、犬養毅濱口雄幸井上準之助、そして原敬星亨伊藤博文の名を挙げ返す刀日清戦争日露戦争において、大将中将のいったい誰が戦死したであろうかと続けた。また政治家についてはまさに棟梁級の人物憲政発展犠牲となっていて、その他に多く人々が身や財産なげうって憲政貢献してきたのにも関わらず多く場合軍人に対して与えられる恩給勲章などの恩典恵まれることがないとして、国民に対して憲政尽くした政治家敬い正し認識持って欲しいと主張した。 そして軍人に忠魂碑のように、その功績称える記念物各所建立されているが、憲政功労者軍人同様にその功績称える記念碑の建立が必要であるとして、自らがその先陣を切って神奈川県三多摩地域憲政発展尽力した功労者称える碑を建立したと、憲政碑建立至ったいきさつ説明し最後に後進先人意志継いで憲政発展のために奮起することを願うとした。 胎中楠右衛門挨拶続いて来賓衆議院議長秋田清神奈川県知事横山助成、元内務大臣望月圭介挨拶に立ち、いずれの挨拶憲政碑建立義挙であると称えこれから国家憲政発展尽くしていかねばならない述べた挨拶引き続いて来賓祭文奉じ最後に初代衆議院議長中島信行長男でもある商工大臣中島久萬吉憲政功労者遺族代表して感謝挨拶述べ正午式典終了した午後からは政友会衆議院議員伊藤痴遊講演や、地元青年団などによる海老名音頭手踊り歌舞伎劇などの余興催され憲政碑除幕式一日海老名村挙げて賑わいとなった

※この「海老名の憲政碑除幕式」の解説は、「憲政碑」の解説の一部です。
「海老名の憲政碑除幕式」を含む「憲政碑」の記事については、「憲政碑」の概要を参照ください。

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