注釈表示への批評
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/29 19:08 UTC 版)
「スタッフが美味しくいただきました」の記事における「注釈表示への批評」の解説
評論家の上滝徹也は、この注釈について「『あるある問題』などで視聴者の目が厳しくなっていると制作者が意識しているということであり、ワンステップとしてはいい」と一定の評価を与えている。一方で上滝は、そう評しつつも「見る側への責任転嫁であって、形だけのお断りで終わってはいけない。バラエティー仕立てにする時は、情報を扱う手続きや番組の中身そのものをきちんとしていく取り組みをしてほしい」とも話している。実際にスタッフが食べたかどうかは視聴者にはわからないため、この注釈が「視聴者からの苦情に備え、とりあえず表示しておけば良いもの」、いわば予防線や免罪符になっている可能性も示唆されている。 放送作家のそーたには、制作サイドが敏感になり、無駄批判に先手を打ってこうして注釈を表示することに対し、過剰な自主規制が萎縮に繋がる危険性を感じている。テレビプロデューサーの菅賢治も、子供の頃にお笑い番組を見ていて母親から「こんなことしちゃ駄目」と言われたように、実社会から離れたテレビの中のことを、「間抜け、馬鹿」と笑えることが必要と主張しており、制約の厳しさによってテレビから面白さが失われていると語っている。 ビートたけしは、食材についてテレビへ寄せられるクレームに対し「だったら近所のコンビニでも行って、『まだ食べられるのに弁当を捨てるなんてけしからん!』と文句を言うところから始めてみたらどうなんだ」と苦言を呈している。たけしはまた、単にテレビを見ているのみであった視聴者が次第に批評家と化し、こうしたクレームを寄せるようになり「スタッフが美味しくいただきました」や、温泉中継でタオルを巻いての入浴場面での「特別に許可を得ています」の注釈などのようにテレビの規制が過剰に強化され、テレビから面白さを奪っていると述べている。2017年4月末の『ニコニコ超会議2017』においてもたけしは、テレビでこのような注釈が必要になったことに対して、「もうテレビ自体がインチキ臭くなっちゃった」と語っている。 先述の松本人志は、かつて『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ)で料理番組を模したコント「キャシィ塚本シリーズ」で、食材を笑いの題材にしたために苦情が殺到したといい、先述の『ワイドナショー』で「食べ物は食べる以外の使用方法もボクはあるんじゃないかと思っていて……」「たとえば飴細工は飴ですけど、ひとつのアートになってるじゃないですか。だから、食べ物もときには笑いの小道具として認めてもらえたら、こんなにありがたいことはないなと思うんですが、なかなかこの主張は通らないですよね」と語っている。また松本は、ドラマでは食べ物を吹き出すシーンが問題視されず、お笑い番組のみが批判されていることの矛盾点をも指摘している。 評論家・タレントの森永卓郎、フリーアナウンサーの垣花正らは、ラジオ番組『垣花正 あなたとハッピー!』(ニッポン放送)2018年5月2日放送において、放送中に注釈でいちいち断っていると、バラエティの笑いの流れが途切れてしまい、それが足枷となることで面白さが奪われ、視聴率の低下に繋がることを示唆している。 コラムニストでもあるタレントの松尾貴史は、食べ物の大事さなどの道徳心を子供に教えるのはテレビではなく周囲の大人だとしており、テレビでお笑い芸人が表現していることが、子供が見るにあたって不快に感じたりするのであれば、クレームを付けるのではなく、別のチャンネルへ変えるか、テレビを消すのが正しい対処だと主張している。また松尾も先の松本人志と同様に、スペインのトマティーナ(トマト祭り)で大量のトマトが扱われる場面や、プロ野球チーム優勝時のビールかけの中継でも「スタッフが美味しくいただきました」の注釈が表示されないことの矛盾点をも指摘している。 2012年(平成24年)には、放送倫理・番組向上機構に、顔が突っ込んでぐちゃぐちゃにされたケーキにこの注釈がつけられたことについて、「食べているとは思えず、バラエティ番組であろうとも真実が語られるべきで責任逃れは止めて欲しい」との否定的な意見が寄せられている。
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