注釈について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/26 03:51 UTC 版)
本論に関する注釈については、インドに於いては無著の弟の世親によるものと、無性によるものとがある。
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注釈について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 18:59 UTC 版)
翻訳で考慮するべきなのは、注釈や解説によって翻訳文で表現しきれない部分を補うという考え方である。しかし聖書翻訳においては注釈や解説がつかない場合も多い。有名な例では欽定訳聖書はロンドン主教の進言によって注釈をつけなかった。注釈をつけると、各教派の意見がまとまらなくなり宗教対立を再燃させることを懸念した結果だろうといわれている(英語訳聖書の欽定訳の項を参照)。聖書を世界中に普及させることに貢献した英国外国聖書協会もその基本綱領に「註や註解なしで聖書を広く普及させること」を目指し、結果として相当数の部数の翻訳聖書は注釈をもっていない。プロテスタントにはルター以来の「聖書のみ」という伝統があり、神の言葉はそのままで人々に届くはずであるという考え方の下、こうした注釈の無い翻訳が理由づけられてもいた。 これとは対照的にカトリック教会は、カトリック教会の教導なしに信徒が勝手に聖書を解釈することは危険であるという立場をとり、カトリック系の翻訳は一般的に注釈を含む。特にエルサレム聖書(英語、フランス語)やフランシスコ会訳(日本語)は大量の注釈と解説を含んでいることで有名である。 1960年代以降、カトリックとプロテスタントの共同訳作業が始まると、たとえば日本語の新共同訳聖書のように聖書協会も注釈を含む聖書を出版するようになった。
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