残骸の発見と墜落の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/21 10:17 UTC 版)
「ブリティッシュサウスアメリカン航空スターダスト号事故」の記事における「残骸の発見と墜落の状況」の解説
1998年に、2人のアルゼンチン人登山家がアンデス山脈のトゥプンガト山を登山中、メンドーサ(アルゼンチン)の西南西60マイル(97キロメートル)、サンチアゴの東およそ50マイル(80キロメートル)、高度およそ 15,000フィート(およそ4,600メートル)の地点で氷河の中にロールスロイス マーリンエンジンと変形した金属の破片、衣服の断片を発見した。 2000年に、アルゼンチン陸軍の捜索隊によりプロペラと車輪(そのうち1本は無傷で空気が入った状態だった)が発見された。残骸の飛散状況から、墜落当時の機首の向きも分かり、空中爆発ではないことの証左となった。また3人分の胴体、アンクルブーツおよびその中の足、マニキュアを施された手も発見した。2002年までに、8人の英国人犠牲者のうち5人の身元が DNA 鑑定を通して特定された。 発見されたプロペラは、事故機が衝突した時点でエンジンが巡航速度に近い出力で飛行していたことを示した。さらに、車輪は引き込まれた状態であり、緊急着陸を試みていたわけではないことから CFIT であったと推定された。スターダスト号の最後の段階では雲が厚く地上は見えなかった。ジェットストリーム(高高度において、地表で観測されるそれとは異なる方向に吹く強い気流で、1947年当時はこの現象はまだ理解されていなかった)の中を進んだため航法上大きなエラーが発生した。旅客機がアンデス山脈を越えるため高度24,000フィート(およそ7,300メートル)で飛行する際には、まさにこのジェットストリームが西から南西に向けての向かい風となり、対地速度が著しく低下した。 対地速度を誤って実際よりも高く見積もったために、クルーはアンデスを安全に越えたと考えてサンチアゴへの降下を開始したが、実際にはクルーが考えていた位置よりかなり東北東にずれを生じており高速でトゥプンガト氷河に向かって飛行していた、と結論付けられた。だが BSAA の他のパイロットたちはこの考えに否定的であり、クック機長は山を越えたという明確な兆候を得ていない状態で降下を始めることはなかったであろうと考え、強風その他の要因で機体に急降下を生じたのではないかと推定した。パイロットの一人は「我々全員は乱気流や着氷といった脅威があるので、山頂上空の雲の中には侵入しないように注意されている」と語った。 1972年のウルグアイ空軍571便遭難事故(映画 “Alive” (生きてこそ)で有名になった)もこのスターダスト号同様のプロセスを経て墜落に至っている。ただしこの事故では山腹への正面衝突ではなく、山腹をかすめるように衝突したため生存者があった。 スターダスト号はほぼ垂直に切り立った氷河頂部の雪原に衝突し、同時に生じた雪崩によって残骸が覆い隠されてしまい捜索隊は発見することができなかった。時間が経つに連れ圧雪が氷にかわりこれら残骸は氷河の流れのなかに取り込まれた。何十年もの間に氷河はゆっくりと流れて山を下りていった。1998年から2000年にかけて、推定される残骸量のおよそ10%が氷河から露出し、さらなる事故調査の参考となった。今後は通常の氷河流だけでなく、氷河自体の溶融量が増加してきているので、より多くの破片類が出現することが予想されている。 2000年のアルゼンチン空軍の調査により、クック機長に過失がないことが明白となり、事故原因は「激しい吹雪」と「極めて厚い雲」により、操縦クルーらは「自機の位置を補正することができなかったため」とされた。
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