歴史改変SFの境界線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 20:14 UTC 版)
「歴史改変SF」の記事における「歴史改変SFの境界線」の解説
小説の中には歴史改変SFのようにも読めるが、そのように意図して書かれたわけではないものがある。例えば、ロバート・A・ハインラインの「月を売った男」(1949年)である。この小説では、人類初の月到達は1960年代に政府ではなく個人企業が行ったことになっている。最近の読者がこれを読むと、史実と異なるから歴史改変SFだと思うかもしれない。しかし、書かれた当時は20年ほど未来のことを書いていたのである。したがって「月を売った男」は古くなったSFであって、歴史改変SFではない。似たような例として『2001年宇宙の旅』の小説版や『1984年』などがある。どちらも書かれた当時は未来のことを書いたものだが、現在から見れば過去の時点を描いている。 歴史改変SFと古びてしまった未来史の根本的違いは、作者が真の歴史がどうなっているかを知った上で書いているか否かである。後者は、作者が完全に想像して書いている。例えばH・G・ウェルズの "The Shape of Things to Come" (1933年)は、ドイツがヴェルサイユ条約に縛られ、アドルフ・ヒトラーが台頭してきたころに書かれた。その中では、ポーランドとドイツが10年間戦い、明確な決着がつかないとされている。同じ話を現代の作家が書くなら、既にドイツ国防軍がポーランドを迅速に圧倒した事実を知っているので、なぜポーランドがそれほど強いのかを詳しく説明しなければ読者を納得させられないだろう。 また、歴史改変SFは秘史や歴史修正主義とは異なる。これらは、実際の歴史に一般的に知られているものとは異なる解釈や秘密を与えるものである。例えば、様々な事件の背後にイルミナティやフリーメイソンや地球外生命が暗躍していた、という小説は秘史に分類される。中には、歴史改変と秘史を1つにした作品もある。例えば、ロバート・シェクリイの "Dukakis and the Aliens" では、1988年の大統領選でマイケル・デュカキスがジョージ・H・W・ブッシュに勝ち、エリア51にあるUFO基地にいる彼の主人に会いに行くという話である。 歴史改変SFは、失われた歴史といった設定のファンタジーとも異なる。それは例えば、古代に文明が栄えていたが、忘れ去られてしまったというような設定である。例えば、ロバート・E・ハワードやJ・R・R・トールキンの諸作品がある。 歴史改変SF以外にも、意思決定による分岐を扱う小説は存在する。例えばマージ・ピアシーの『時を飛翔する女』(1976年)がある。精神病院に入れられた主人公の女性は、2種類の未来社会を見ることができる。1つはフェミニズム的な理想社会で、もう1つはファシズムの支配するディストピアである。彼女の脳に施される手術によってどちらの未来が勝つかが決まる。タイムトラベルの要素があり、並行時間の要素があり、妄想的現実を描いているようでもあるが、意思決定による分岐が現在行われるものという点で歴史改変SFとは呼べない。 歴史改変SFと若干似たジャンルとして英語で invasion literature と呼ばれるジャンルがある(直訳すると「侵略文学」)。これは、大衆が不安に感じている近未来の悪い予測に基づいた小説などを指す(ヴィタ・サックヴィル=ウェストはこれを "cautionary tale" と呼んだ)。例えば、1870年代ごろから、イギリスではドイツやフランスが侵略してくるという話が多数書かれた。世界恐慌の際には、シンクレア・ルイスがファシストがアメリカ合衆国を乗っ取るという It Can't Happen Here(1935年)を書いた。第二次世界大戦初期に Sackville-West が書いた Grand Canyon(1942年)は、ドイツが国防の備えのないアメリカ本土を急襲する話である。これらの小説はごく近い未来を描いているため、古くなった未来史と同じように、後世の人が読むと歴史改変SFのように読める。 戦後の日本では、第二次世界大戦を扱うことに特化した架空戦記というサブジャンルが独自の発展を遂げた。特にSF志向ではない(SF的小道具やSF的プロットが使用されない)作品も多い。架空戦記の先駆的作品としては、高木彬光の『連合艦隊ついに勝つ』(1971年)、 豊田有恒の『タイムスリップ大戦争』(1975年)や『パラレルワールド大戦争』(1979年)がある。
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