歴史上の侠客とは? わかりやすく解説

歴史上の侠客

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 00:00 UTC 版)

侠客」の記事における「歴史上の侠客」の解説

基本的に侠客なる職業歴史上存在せず封建時代における風俗形態一つとして捉えるのが一般的である。 中国春秋時代から義侠に厚い人々がおり、施し見返りとして恩人対し法を破り命を捨ててでも礼を尽くしていたという。戦国時代登場した戦国四君食客として侠客採用し活躍したとされている。『史記』に「遊侠列伝」という侠客記述残され、また前漢築いた劉邦最初侠客であったとされている。 司馬遷は『史記』に「世間人々任侠の志を知らず朱家郭解チンピラのごとき連中だと見下すのは悲しいことだ」、また「游俠とは、その行為世の正義一致しないことはあるが、しかし言ったことは絶対に守り、なそうとしたことは絶対にやりとげ、一旦引き受けたことは絶対に実行し身を投げ打って他人苦難のために奔走し、存と亡、死と生境目渡った後でも、己の能力におごらず、己の徳行自慢することを恥とする、そういった重んずべきところを有しているものである。」、「孟嘗君春申君信陵君などはいずれ貴族富裕であったため名声があった。人物として優れてはいるが、それは追い風乗って叫び上げたようなものだ。ところが民間の裏町に住む侠客について言えば、己の行いまっすぐにし、名誉を重んじた結果評判天下広がり立派だ褒めない者は無かった。これこそ困難なことなのだ。秦より以前時代では、民間独行遊侠事績埋没し伝わっていないことを私は極めて残念に思う」と述べている 日本室町時代における悪党土地縛られ法外であったのに比べ江戸幕府宗教住居両面から大衆支配している。決められた場所で決められ支配者従い貢納することで競争による脱落生じずに生活が保障されるのが封建時代特徴であり、農村経済破綻までこのシステム運用されていく。 ただし、17世紀初期幕府大坂江戸河川主要道路を整備して都市機能持たせる政策打ち出した時点ではまだトップダウンだけでは無理があり、多く牢人労務管理としての口入業を行わせている。彼らが独自に生み出した珍奇な衣装言動といったものが都市文化風俗として捉えられたのが侠客である。これと同時に武士階級であっても存在価値問われている遊民たちも独自の「風俗」を生じている。すなわち無為無禄の状態に置かれ旗本次男以下からなる旗本奴旗本奴反発する庶民による町奴と謂われる者が侠客であり、19世紀浮浪博徒含まれる)とは大きく意味合い異なる。

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